著者
北村 昌史
出版者
奈良大学史学会
雑誌
奈良史学 (ISSN:02894874)
巻号頁・発行日
no.22, pp.37-60, 2004

この二〇年ほど近代ドイッ史研究において市民層の再検討が中心的課題の一つであったことはここで改めて指摘するまでもあるま斡酬これは・一九八〇年代に繰り広げられた「特有の道」論争の焦点の一つが「市民」の評価をめぐるものであったことをその背景とする。最近一〇年の動向に話を移せば、個別都市単位の都市市民層Stadtburgerの研究が盛り上がりをみせている。ここで都市市民という場合、手工業者や小商人など伝統的な都市の市民が念頭におかれている。都市市民へ関心を集中させる近年の傾向は、市民層を都市社会の具体的な状況のなかに位置づけることを意図したものであり、八〇年代以来の研究の必然的な帰結といえる。L・ガルを中心としたフランクフルトのグループが西南ドイッの都市に焦点をあてて研究を進めているのがもっとも顕著な動きであろう。それにとどまらず、市民層研究ということではガルのグループに先行していた、コッカを中心とする社会構造史派のグループにもノルテなど都市市民をとりあげる研究者がおり、また都市市民に関心を寄せるのはこうした大プロジェクトに関わる者ばかりではな咋酬具体的な都市という場で市民を考える動きは、現在近代ドイツ史研究に極めて大きな裾野を有しているといえる。本稿では近年の都市市民研究の動向を包括的に整理することは差し当たって断念し、ベルリンの都市行政の名誉職と市民との関係を論じた二つの研究の紹介を試みたい。べルリンの市民層については、企業家の出自をあつかったケルブレの先駆的研究(一九七二年)以降研究成果が蓄積されており、とくにベルリンの壁崩壊後の史料へのアクセスの改善を背景に矢継ぎ早に実証的研究成果が世に問われている。そうした研究のなかでもパールマンによる、一九世紀前半の市議会選挙や市議会議員についての網羅的研究(一九九七年)と、スカルパによるルイーゼン市区(ベルリン南東部)の救貧委員会の社会的機能を扱った研究(一九九五年)を本稿では検討したい。