- 著者
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張 振康
- 出版者
- 大阪市立大学大学院文学研究科 : 都市文化研究センター
- 雑誌
- 都市文化研究 = Studies in urban cultures (ISSN:13483293)
- 巻号頁・発行日
- no.22, pp.53-65, 2020-03
千年以上の歴史を持つ広州の南海神廟は, 珠江デルタ地域における最も代表的な海神信仰の対象として知られるが, その信仰は複雑な変遷をたどってきた。南海神廟が形成された隋代以降, その祭祀は歴代王朝が天下四海を擁することの正統性を示す国家祭祀として行われた。ところがそれとともに, 広東の地域社会においても南海神信仰が形成され, そこでは民間信仰としての姿が顕著になるという転向が見られたのである。通説では, 宋代こそがそうした南海神信仰の転向の重要な画期であったとされている。しかし南海神信仰になぜかかる転向が現れ, その転向はいかにして成し遂げられたのかは必ずしも明らかにされてこなかった。本論文では, 宋代の広東地方官員による南海神の祭祀文を手がかりとして, この問題の解明を試みる。「中央」と「地方」の間に存在する地方官員の微妙な立場・位置づけに着目することにより, 広州の南海神廟祭祀を担当する立場において, 南海神信仰の転向・変容に大きな役割を果たしたことは言うまでもないし, 同時に彼らは珠江デルタ地域の民衆がいかに南海神を信仰するかについてもっとも適切な観察・記録者でもあると言える。宋代広東の地方官員に着目する考察により, 宋代における南海神信仰の転向という問題に新たな視点を示すことができるはずである。宋王朝による南海神の加封問題を考察して, 歴代の加封に関する理由と過程を分析することによって, 南海神信仰が宋代において画期的な転換を成し遂げた原因の一つは, 南海神を位置づける主導権が朝廷から広東の地方官員へと次第に移行ようになるということである。同時に, 広東地方史における南海神信仰に関する記載によれば, 宋代は南海神信仰が民間信仰として広東の地域社会で発展していく肝心の時期でもあると考えられる。