- 著者
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南部 保貞
- 出版者
- 一般社団法人 日本物理学会
- 雑誌
- 日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
- 巻号頁・発行日
- vol.69, no.11, pp.763-770, 2014-11-05 (Released:2018-09-30)
宇宙の加速膨張期を与えるインフレーションモデルは,現在の宇宙における大規模構造形成に必要な初期ゆらぎを生成するメカニズムを提供すると考えられている.インフレーションの期間中に,加速膨張を引き起こすスカラー場であるインフラトン場の量子論的な粒子生成を通じて空間曲率のゆらぎが生成される.そしてそのゆらぎの波長は宇宙膨張に伴ってハッブル地平線長さを超えるマクロなスケールまで引き延ばされる.このような長波長ゆらぎは,量子的な性質を失い統計的には古典的ゆらぎと区別がつかなくなると考えられている.これがインフレーション起源の量子ゆらぎの古典化である.もしこの量子古典転移が起きたとすれば,インフレーションによって生み出された量子起源のゆらぎを初期線形ゆらぎとして用いることで,重力不安定性に基づいた大規模構造形成の計算を古典力学を用いて追跡することができる.実際,インフレーションモデルに基づいた宇宙論の構造形成のシナリオは,初期量子ゆらぎの古典化を前提として成り立っている.初期量子ゆらぎの古典化の妥当性は理論的に説明すべき事項であり,これまでにも多くの検討がなされている.代表的な議論として場の波数モードごとの振舞いに基づくものがある.インフレーション時の加速膨張によってインフラトン場の各波数モードはスクイーズド状態とよばれる沢山の粒子を含む励起状態になる.十分にスクイーズされた量子状態の下では,正準共役な演算子間の非可換性が実質的に無視できるようになり,その結果として量子論における演算子をc-数の確率変数として置換えて扱うことが可能となる.よってこのような状態に対しては,量子論的な期待値と同じ答えを与えうる古典的な確率分布関数の存在が可能となり,量子的ゆらぎの振舞いを古典的な確率過程に置換えて扱うことが可能となる.しかしながら,この議論は量子古典転移の1つの側面を見ているのにすぎない.量子ゆらぎの古典性を主張するためには,量子的コヒーレンスの消失や量子相関の消失についても検討する必要がある.量子論では古典論で記述できないエンタングルメントとよばれる非局所的な相関を持つことができる.2つの系がエンタングルしている場合には,古典論で許されるより強い相関を持つことが可能となり,その相関は古典的かつ局所的な確率過程では再現することができない.EPRパラドックスやBell不等式の破れなどが,エンタングルメントが関与する具体例として知られている.量子系の特徴であるエンタングルメントが失われる何らかの機構が存在しない限り,古典的確率変数を用いて2体間の相関を記述あるいは模倣することはできず,その系を古典的であるとみなすことはできない.よって,初期量子ゆらぎの古典化の問題を扱う上で,どのようにエンタングルメントが失われて古典的描像が出現してくるかを理解することが重要となる.本解説では,インフレーション宇宙における2つの空間的領域間のエンタングルメントの振舞いの解析結果を用いて,初期量子ゆらぎの古典性がどのように現れるかを紹介する.インフラトン場が初期に持っていた領域間のエンタングルメントは,場のゆらぎの波長がハッブル地平線を超した時点で消失する.これは,初期量子ゆらぎの古典化現象を量子相関の消失という観点から裏付けたことになる.