著者
吉本 弥生
出版者
独立行政法人 石川工業高等専門学校
雑誌
石川工業高等専門学校紀要 (ISSN:02866110)
巻号頁・発行日
vol.50, pp.64-59, 2018 (Released:2019-02-27)
参考文献数
18

本稿では、三島由紀夫『近代能楽集』より戯曲「葵上」を取り上げ、『源氏物語』や謡曲「葵上」との比較から、三島由紀夫の作品世界を考察する。中でも、六条康子の愛に着目し、病院や看護婦のいう「リビドオ」との差を検討する。そこには、「情念」とそれを排除することで苦しみを克服しようとする姿が確認される。他方で、三島由紀夫の作品世界は、現代における演劇や映像化によっても芸術的昇華を果たしている。三島の能への関心、及び、当時の海外での上演を含め、三島の作品がどのように受け止められ、現代に生きているかを考察する手がかりとして、戯曲「葵上」の作品分析をおこなう。
著者
吉本 弥生
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.41, pp.331-371, 2010-03

絵画の約束論争(一九一一~一九一二年)は、木下杢太郎・山脇信徳・武者小路実篤によって交わされた、当時の絵画の評価基準に関する論争である。三人の議論が起こった最初のきっかけは、木下杢太郎が、山脇信徳の絵画についておこなった批評にある。本稿は、論争の中心人物となった三人の言説を明確化し、従来、指摘されてきた「主観」と「客観」の二項対立からではなく、「主客合一」の視点で論争をとらえ直した上で、同時代の芸術傾向と、批評を合わせて考察した結果、三人の芸術観には、共通して「印象」ではなく、「象徴」がベースにあることが分かった。
著者
吉本 弥生
出版者
独立行政法人 石川工業高等専門学校
雑誌
石川工業高等専門学校紀要 (ISSN:02866110)
巻号頁・発行日
vol.51, pp.25-30, 2019 (Released:2020-01-17)
参考文献数
13

本稿では、三島由紀夫『近代能楽集』より戯曲「卒塔婆小町」を取り上げ、同時代及び、謡曲「卒塔婆小町」との比較から、三島由紀夫の作品世界を考察した。特に、原曲の百夜通いを遂げることのできなかった深草少将の無念が小町に憑依する場面について、これと戯曲における「老婆」の小町像を比較 し、分析した。 他に、三島の作中に登場する「百年」に注目したところ、夏目漱石の「夢十夜」とモチーフが重なったことから、これについても触れ、三島由紀夫が夏目漱石から受けた影響を検討した。その結果、「卒塔婆小町」には、謡曲との関連同様、漱石の作品とのつながりも見ることができたのである。
著者
吉本 弥生
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.43, pp.191-236, 2011-03

明治後期、日本の美術界においてフランスやイギリスと同様、ドイツ美術は大きな影響を与えていた。しかし、従来はフランスとイギリスにその重きが置かれ、ドイツからの影響については、あまり大きく取り上げられてこなかった。これは、当時、日本において西洋芸術紹介者としての役割を担っていた雑誌『白樺』とのかかわりが考えられる。 『白樺』は、特にフランスとドイツの哲学思想から強い影響を受けているが、ドイツからの影響は従来、初期に限定され、その後はフランスの影響下にあったと認識されてきた。そして、同時に『白樺』には、人格主義の思想を持つ芸術家が次々に紹介される。 人格主義は、その人物の世界観や思想に重点をおいた解釈方法である。日本では、阿部次郎(『人格主義』岩波書店、一九二二年)や波多野精一(『宗教哲学』岩波書店、一九三五年)の著作がよく知られ、日本への受容において彼らの功績は大きい。 しかし、日本でのこの人格主義の流れの源泉は実は、当時の受容だけによらず、それより以前から日本に定着していた感情移入説にもとをたどることができる。 感情移入説は、ドイツで盛んになった美術概念で、主に「主観の挿入」をキーワードとして対象に感情を落とし込む表現をおこなうものである。その思想を体系化したのがテオドール・リップスである。リップスの思想は、一九一〇年以前から日本でも見られる。本稿では、その紹介者の嚆矢として、伊藤尚の「リップス論」(『早稲田文学』第七二号、一九一一年一一月)を取り上げ、それとの比較として阿部次郎の『美学』(岩波書店、一九一七年)を考察した。その結果、伊藤のリップス受容の特徴がオイケンとの比較にあり、それは早稲田大学哲学科の系譜に沿っていることが解された。伊藤の「リップス論」は、『早稲田文学』に広く影響を与えた。そして、阿部にも特徴的なことに、鑑賞者が制作者の経験を自己のものとして感じる「直接経験」という鑑賞方法が、『帝国文学』で盛んに紹介された『ファウスト』を例として具体的に提示され、それが人格主義の概念を中心に受容されていったことが明らかとなった。つまり、日本におけるリップス受容は、『帝国文学』と『早稲田文学』にも共通する鑑賞における新思潮として受容されていったのであった。
著者
吉本 弥生 Yayoi YOSHIMOTO ヨシモト ヤヨイ
出版者
総合研究大学院大学文化科学研究科
雑誌
総研大文化科学研究 = Sokendai review of cultural and social studies (ISSN:1883096X)
巻号頁・発行日
no.9, 2013-03-28

一九〇〇年頃、日本の思想界では人格主義が大きな影響を与えていた。日本の人格主義は、感情移入美学との関連があり、その影響を強く受けていたのが阿部次郎(一八八三~一九五九)であった。同時に武者小路実篤(一八八五~一九七六)にもその傾向が見られ、両者の思想は互いに似たところがあった。 そこで、当時の社会思想について阿部と似た意識のあった武者小路実篤の「理想的社会」(『生長する星の群』一九二三年一月~八月)を取り上げ、阿部の『人格主義』(岩波書店、一九二二年)と比較することで、両者の相違と同時代受容を検証した。これまで、阿部と武者小路の社会観を考察する研究はなされていない。その際、浮上したのが「同情」と「隣人愛」の概念である。これは、阿部がリップスの感情移入を「同情」と訳していたことから始まった。阿部は、彼自身の解釈でこの言葉を用いていたが、「同情」「隣人愛」は、当時の日本において重要な役割を果たしている。 本稿では、「同情」に着目し、キリスト教と反キリスト教の両面から考察し、この視点から一例として、ショーペンハウア―受容を取り上げた。それは、阿部だけでなく、武者小路や森鴎外(一八六二~一九二二)、島村抱月(一八七一~一九一八)など、当時の知識人達に広まっていた。中でも、井上哲次郎(一八五六~一九四四)に見られるように、ショーペンハウアーは仏教の側面からも解釈されており、阿部と武者小路の社会観でも人格的価値や善という側面に共通性が見られた。 また、阿部と武者小路は各々「第三の社会」や「第三のもの」という国家や共同体観を持っており、これは当時、既に受容されていたイプセンの戯曲に登場する『皇帝とガラリヤ人』(一八七三年)で著した「肉の王国」と「霊の王国」を経て霊肉一致の「第三帝国」を求める人々の姿を想像させる。 イプセンの戯曲では、ギリシアの古代精神とキリストの精神を統一融合した世界として「第三帝国」が表現されるが、阿部と武者小路の目指す社会は、同時代に受容された感情移入説と人格向上が融合したものであった。 以上の考察の結果、武者小路の共同体はカントの「目的の国」と似ており、阿部の国家はヘーゲルの『法哲学』の国家観と似た特徴を持ち、両者は善の社会を目指している点では共通した思想を持っていたのである。Abe Jirō (1883–1959) declared that a good society can be created through “personalism” (1922). He thought that the improvement of individual personalities would lead to a virtuous society. Mushakōji Saneatsu (1885–1976) had a similar idea. Abe Jirō’s idea of “personalism” resembled Mushakōji Saneatsu’s thinking about the “ideal society.” In this essay, I have inspected their ideas. Abe Jirō said that sympathy is a kind of empathy; and empathy, when seen aesthetically, is also applicable to society. I investigated the problem of sympathy from the point of view of empathy. The theory of empathy proposed by Theodor Lipps (1851–1914) was introduced in Japan in discussions of aesthetics and psychology. Mori ōgai (1862–1922) was the first to take up the problem, and it spread among the intellectuals of that time. Sympathy was understood in terms of religion when Schopenhauer’s thought was transmitted to Japan. Schopenhauer can be interpreted from a Buddhist point of view, as seen in the writing of Inoue Tetsujirō (1856–1944). I investigate “sympathy” and “neighborly love” from the time of Schopenhauer’s reception in Japan. Lipps’s idea applies to all interpretations. Therefore, their interpretation differentiate with that of someone. But Abe’s and Mushakōji’s ideas resembled those of others in the same period. Ibsen (1828–1906), in his play Kejser og Galilaer (1873), had put forward something similar in his idea of “the third society” that unites the flesh as expressed by the Greek mind and the spirit as expressed by the Christian mind. Similarly, in Japan, Abe Jirō and Mushakōji Saneatsu saw their country as one in which sympathy and personalism were fused. Abe’s idea may also be compared to Hegel’s “philosophy of law,” and Mushakōji’s ideal society may be compared to Kant’s idea of a “goal country.” Abe and Mushakōji thought that religion is goodness.