- 著者
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吉田 律人
- 出版者
- 公益財団法人 史学会
- 雑誌
- 史学雑誌 (ISSN:00182478)
- 巻号頁・発行日
- vol.127, no.6, pp.48-64, 2018 (Released:2019-06-20)
本稿では、自衛隊法第83条で定められた災害派遣制度と、衛戍条例第9条で定められた災害出動制度の類似点に着目、軍事力の要請権者や部隊指揮官の権限に留意しつつ、戦前と戦後の法令を分析することで、災害に対する軍事組織の役割を検証した。今日、戦前、戦後ともに災害時の軍事組織の対応について研究の蓄積がなされているものの、第二次大戦の前後を通観した分析はなく、本稿の作業は自衛隊の対内的機能を解明していく上でも意味がある。具体的には、災害時の出動に関する法令を戦前と戦後の組織ごとに整理しながら制度の変遷を追った。
上記の作業から全体像を俯瞰すると、軍事組織としての戦前と戦後の連続性が浮かび上がってくる。戦前、陸海軍ともに地方官からの要請を基本としつつも、師団長や衛戍司令官、鎮守府司令長官や要港部司令官、艦隊司令長官の判断で出動できたほか、連隊長や艦艇長も災害に直面した場合は臨機応変な対応が可能であった。しかし、関東大震災は従来のシステムでは対応できない災害で、それ以後は事前計画の策定や広域的な軍事動員など、災害の教訓を活かした対応をとるようになった。さらに「防空」の問題が浮上すると、陸海軍はそれに応じた枠組みを構築していった。災害対応を定める基本的な法令は変化しなかったが、戦時体制に伴う新たな法令が次々と制定されるなか、災害時の軍隊の存在は「防空」政策の中に組み込まれていった。
戦後、陸海軍が解体するなか、占領軍による災害対応はあったものの、日本独自の災害対処機関は警察や消防に限られた。だが、海上保安庁の新設とともに、海難救助の体制が構築されたほか、朝鮮戦争を契機に誕生した警察予備隊にも災害への対応が求められた。ただし、警察予備隊の姿勢は慎重で、意思決定については総理大臣の判断を必要としたが、災害の現実を前にして、次第に部隊指揮官の判断による対応も可能になっていった。
以上の状況を踏まえると、災害派遣制度の原型は戦前の災害出動制度にあり、戦後の制度は次第に戦前の形に近づいていった。戦前の陸海軍は20世紀前半の災害対応を通じて、防災の一翼を担う機関として社会に定着、その状況は戦後も変わらず、警察や消防で対処できない場合は、最終的な手段として軍事組織が出動することになったのである。