著者
周 一川
出版者
慶應義塾大学
雑誌
史学 (ISSN:03869334)
巻号頁・発行日
vol.67, no.1, pp.161-186, 1997-09

はじめに一 留学生は聴講生として対処された東京女高師二 留学生特設予科を設置した奈良女高師三 留学生特別措置がなかった東京高等糸学校おわりに
著者
周 一川
出版者
一般社団法人中国研究所
雑誌
中国研究月報 (ISSN:09104348)
巻号頁・発行日
vol.64, no.9, pp.15-30, 2010-09-25

「満洲国」女性の日本留学は,医学を目的とするものが中心であった。しかし,「満洲国」政府が最も重視したのは師範留学(教員を養成することが目的)であった。1940年代に入ってから女子留学生がさらに増えていき,留学生総数の中で女子は2割前後を占めるまでになった。その原因として考えられるのは,「満洲国」の積極的な女子留学政策の裏に,国内の女子高等教育の環境水準の低さがあったということである。また,女性が自立する道を探すために留学するという動向も影響していた。彼女たちの学生時代は,戦乱にまき込まれた時期が長かったが,その多くは厳しい環境の中で学業を続けたのである。中華人民共和国成立後の彼女たちは,医学などの分野で中堅として,中国,特に東北地方の発展に貢献した。