著者
鹿毛 敏夫 早坂 俊廣 山崎 岳 坂本 嘉弘 田中 裕介 吉田 寛 坪根 伸也 中西 義昌
出版者
新居浜工業高等専門学校
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2007

中国に残された文献史料によると、嘉靖36(1557)年に日本の戦国大名大友義鎮が浙江省に派遣した貿易船が、舟山島の岑港で沈没した。「巨舟」と記されたその船は、当該期東シナ海域を往来する船のなかで最大級の大型構造船であった。本研究の現地調査において、沈没船の時代に関わる考古遺物を確認できたとともに、船の母港の都市空間構造を明らかにすることができた。また、共通の意識を有する中国の研究者との連携体制を構築するとともに、国際学会を通じて研究成果を世界的に発信することができた。
著者
坪根 伸也
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.210, pp.123-152, 2018-03-30

中世から近世への移行期の対外交易は,南蛮貿易から朱印船貿易へと段階的に変遷し,この間,東洋と西洋の接触と融合を経て,様々な外来技術がもたらされた。当該期の外来技術の受容,定着には複雑で多様な様相が認められる。本稿ではこうした様相の一端の把握,検討にあたり,錠前,真鍮生産に着目した。錠前に関しては,第2次導入期である中世末期から近世の様態について整理し,アジア型錠前主体の段階からヨーロッパ型錠前が参入する段階への変遷を明らかにした。さらにアジア型鍵形態の画一化や,素材のひとつである黄銅(真鍮)の亜鉛含有率の低い製品の存在等から,比較的早い段階での国内生産の可能性を指摘した。真鍮生産については,金属製錬などの際に気体で得られる亜鉛の性質から特殊な道具と技術が必要であり,これに伴うと考えられる把手付坩堝と蓋の集成を行い技術導入時期の検討を行った。その結果,16世紀前半にすでに局所的な導入は認められるが,限定的ながら一般化するのは16世紀末から17世紀初頭であり,金属混合法による本格的な操業は今のところ17世紀中頃を待たなければならない状況を確認した。また,ヨーロッパ型錠前の技術導入について,17世紀以降に国内で生産される和錠や近世遺跡から出土する錠の外観はヨーロッパ錠を模倣するが,内部構造と施錠原理はアジア型錠と同じであり,ヨーロッパ型錠の構造原理が採用されていない点に多様な技術受容のひとつのスタイルを見出した。こうした点を踏まえ,16世紀末における日本文化と西洋文化の融合の象徴ともいえる南蛮様式の輸出用漆器に注目し,付属する真鍮製などのヨーロッパ型の施錠具や隅金具等の生産と遺跡出土の錠前,真鍮生産の状況との関係性を考察した。現状では当該期の大規模かつ広範にわたる生産様相は今のところ認め難く,遺跡資料にみる技術の定着・完成時期と,初期輸出用漆器の生産ピーク時期とは整合していないという課題を提示した。