著者
境野 直樹
出版者
岩手大学教育学部英語教育科
雑誌
岩手大学英語教育論集 = Bulletin of English education, Iwate University (ISSN:13447807)
巻号頁・発行日
no.13, pp.113-128, 2011

William Shakespeare (1564-1616)の作品の成立年代については、そもそもその「成立」のありかた-'authorship' のありよう-からすでに、確実なことはわかっていない。上演用の台本が、当時の版本と同じであったか、それとも異なっていたか、版本は執筆者の意図にどの程度忠実であったのか、検閲制度の介入や写字生、印刷所の仕事の信頼度など、気になり出せばきりがない。"Shakespearecannot be approached directly;he has been modified by his own after-history"『お気に召すまま』(As You Like It)についても、こうした事情は変わらない。それどころかこの作品の成立/受容史は、その超源の不確かさにおいて、際だった特徴を有している。作者生前の上演記録の不在、生前の版本の不在、出版遅延をめぐる謎-英国におけるこの劇の最初の上演記録は、作者の死後じつに120年余りを経たものである。それは近代的な屋内劇場での上演であり、騒然たる立ち見の群衆ひしめくシェイクスピアの時代の青空天井の円形の劇場とはあきらかに異質な演劇の空間だったはずだ。「騒然」と書いたが、観客のマナー以上に上演にとって不都合なのは、劇場の音響条件である。エリザベス時代の平戸間の「聴衆」は、18世紀の-おそらくはかなり洗練された屋内劇場の-「観客」と違って、響的にかなり不利な条件下で観劇していたはずである。トマス・ライマー(Thomas Rymer)によれば、18世紀の劇場には「聴衆」と「観客」が混在していた。つまり、観劇のありようそのものが、あるいは時代の求める芝居の価値基準が、変容しつつあった時代といってよいだろう。それはまた、台詞と演技が乖離してゆく経験、そしてその事離を積極的に演劇の効果に組み入れてゆくことが模索された時代だったとも考えられるだろう。本稿は、『お気に召すまま』の演劇的要素について、現存する最古の上演記録である1740年の時点でそれらがすでに少なからず改変され「近代化」されていた事実を確認し、このテクストを「復元」することの困難さについて、主として挿入歌をめぐる問題を指摘することを通じて論じてみたい。
著者
境野 直樹
出版者
岩手大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2001

当初は近世英国都市喜劇群のコンテクストを補強する目的で開始された研究であったが、中世宗教劇にみられる神と人との契約、信仰の問題を離れ、人間相互の契約に潜む暴力的収奪の構図の来歴をさぐるうちに、「犯罪者」「秩序の攪乱者」がバラッド、パンフレットに繰り返し表象されつつも「外部からの侵入者」「他者」の記号を纏わされることで、巧みに共同体共通の敵として排除される構図が骨太に浮上してきた。そこでPedlers Frenchと呼ばれる犯罪者の隠語や、罪状に応じた犯罪者の呼称を記したパンフレットの夥しい再版の経緯をたどりつつ、そうしたローカルで些末なはずの出版物がやがてホリンシェッドの『年代記』を構成するにいたる過程に犯罪者を他者として排除する力の介在を、またバラッドがその性格上、古い世界の宗教的モラルに依拠しつつもスキャンダラスな同時代の出来事を記述することで、倫理観に生ずる揺らぎ、さらには演劇におけるpedlerがrite of misruleの司祭として、あるいはwise foolの系譜に連なる登場人物として機能するさまに、時代の動揺とバランスを模索する状況を確認した。さらに、諺を累積することで成立している物語詩が、バラッド同様その性格上古いモラルに収斂するかに見えて、新しい社会の価値観に揺れるさまをも確認することができた。本研究の鍵となる記号Pedlerは、本来物々交換の媒介者として古い経済体制を、そしてface to faceの人間関係の媒介者であったはずだ。そのpedlerが巨大な、それゆえ顔の見えない資本主義という怪物の棲む近世の大都会と出会うとき、彼が出会うのは、一斉に神に顔を向けるエヴリマンではありえない。そこには互いに反目し収奪しあう近代の人間たちの世界が待ち受けているのであり、そのすべての汚辱と悪を、外部からの攪乱者のレッテルとともに、彼は背負わされるのである。