- 著者
-
境野 直樹
- 出版者
- 岩手大学
- 雑誌
- 基盤研究(C)
- 巻号頁・発行日
- 2001
当初は近世英国都市喜劇群のコンテクストを補強する目的で開始された研究であったが、中世宗教劇にみられる神と人との契約、信仰の問題を離れ、人間相互の契約に潜む暴力的収奪の構図の来歴をさぐるうちに、「犯罪者」「秩序の攪乱者」がバラッド、パンフレットに繰り返し表象されつつも「外部からの侵入者」「他者」の記号を纏わされることで、巧みに共同体共通の敵として排除される構図が骨太に浮上してきた。そこでPedlers Frenchと呼ばれる犯罪者の隠語や、罪状に応じた犯罪者の呼称を記したパンフレットの夥しい再版の経緯をたどりつつ、そうしたローカルで些末なはずの出版物がやがてホリンシェッドの『年代記』を構成するにいたる過程に犯罪者を他者として排除する力の介在を、またバラッドがその性格上、古い世界の宗教的モラルに依拠しつつもスキャンダラスな同時代の出来事を記述することで、倫理観に生ずる揺らぎ、さらには演劇におけるpedlerがrite of misruleの司祭として、あるいはwise foolの系譜に連なる登場人物として機能するさまに、時代の動揺とバランスを模索する状況を確認した。さらに、諺を累積することで成立している物語詩が、バラッド同様その性格上古いモラルに収斂するかに見えて、新しい社会の価値観に揺れるさまをも確認することができた。本研究の鍵となる記号Pedlerは、本来物々交換の媒介者として古い経済体制を、そしてface to faceの人間関係の媒介者であったはずだ。そのpedlerが巨大な、それゆえ顔の見えない資本主義という怪物の棲む近世の大都会と出会うとき、彼が出会うのは、一斉に神に顔を向けるエヴリマンではありえない。そこには互いに反目し収奪しあう近代の人間たちの世界が待ち受けているのであり、そのすべての汚辱と悪を、外部からの攪乱者のレッテルとともに、彼は背負わされるのである。