著者
増井 三夫 宮沢 謙市 海野 浩 大石 義敬
出版者
上越教育大学
雑誌
上越教育大学研究紀要 (ISSN:09158162)
巻号頁・発行日
vol.25, no.1, pp.199-215, 2005-09-30

本稿はJ.ハーバーマスのコミュニケイション的行為研究法の開発研究第2報になる。中学生の逸脱行為をインタビューからどこまで叙述できるか。この方法の開発が今回試みられる。ここで採用される分析方法はテキスト解釈学の方法でインタビューはテキストとして扱われる。従来はエソノメソドロジーが有力な方法であった。たしかにその方法では生徒の規範的行為は解釈できる。しかし逸脱行為は日常生活世界における事実認識・規範意識・身体表現の諸相が様々な場面に未分化な形で現れる。エソノメソドロジーではこの<状況>を叙述することは難しい(増井他(1):235以下)。本稿はこの複雑で未分化な行為<状況>をコミュニケイション的行為研究法で分析を試みた。分析は逸脱行為の<状況>をその行為の意味づけによって構成した。かかる<状況>では逸脱者が主役となり周りの生徒が観客となる「親密圏」が生み出されており,それは逸脱者に「居やすさ」の意味を付与された意味空間であった。
著者
増井 三夫
出版者
上越教育大学
雑誌
上越教育大学研究紀要 (ISSN:09158162)
巻号頁・発行日
vol.15, no.2, pp.271-285, 1996-03

従来,ネオナチ・ユーゲントの行動は「単独」であり,「計画され,他から操縦されたものは」少ないと見られてきた。そのうえ,ネオナチ組織の活動について言及する場合にも,それらは個別に取り上げられ,組織間相互の関係についてはいまだ未解明にちかかった。その理由は,ネオナチ組織と活動について,丹念な調査を欠いていたからである。だがこの数年に二つの貴重なデータが刊行された。それは,B.ジーグラーの調査とⅠ.ハッセルバッハのネオナチ内部世界の告自記録である。この両者により,ネオナチの裏面がかなり明瞭になった。とくにM.キューネンを「総統」とする指導者ネットワークの存在およびドイツ・アルタナティーベと旧来ベルリンの組織と活動は,上記の見方に大幅な修正を求めるものとなった。またネオナチ・ユーゲントは,国家社会主義イデオロギーに確信をもち,伝統的なドイツ市民社会の価値と国民主義の世界観に,一般市民および同世代よりもはるかに強烈に同一化していた。その行動は,この価値と世界観を「吐き出し,言語化し,行為で表現」するものであった。
著者
増井 三夫
出版者
上越教育大学
雑誌
上越教育大学研究紀要 (ISSN:09158162)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.47-61, 1995

1989年のベルリンの壁解放から始まったドイツ転換期は,その時代状況の激しさを反映するかのように,ネオナチ・ユーゲントにそのラディカルな行動を示威する舞台を提供したかのようであった。もちろん観客も揃っていた。その観客は若者たちの難民収容所への襲撃に潜在的な支持を表明した。さすがに世論は,この行動が一部の若者の一犯罪としてすますことができなくなった。抗議のデモが続いた。その一方で,ネオナチの登場は失業等の社会的な危機と精神的な危機に起因するといった従来の行動格率を通用することによって説明されていた。そこでは危機の要因が多数指摘されているが,そこから明かとなった点は,その要因の数だけネオナチ・ユーゲントの行動生成の過程が複雑であったということである。この複雑な過程に一つの解釈をあたえるために,ネオナチの行動へはしる若者の日常生活世界に注目したのが本小論である。だがそのデータが極めて不足しており,この試論は今後の研究の進展によって修正を不可欠とするものである。Was ist die Ursache von der Entstehung der Neonazi-Jugend im Modernen Deutschland? Man versteht die folgeden Punkten als dis Ursache davon : (1) die Krise der Identitat und Verlust des Lebensziels, (2) das zusammenbrechende Familienleben, (3) die schlechte Anpassung des pluralistischen Werts. Aber konnen wir die Entstehung der Neonazi-Jugend durch der deri Punkte als entsprechend verstehen ? Ist es denn moglich, dass die zweckmasslichen Taten, die den Antisemitismus, Grossdeutschismus und Gewalt anrichteten, im psychologischen Vakuum und somit ohne den starken Werken hervortreten ? Das alltagliche Lebenswelt der Jugend um Wende bringt uns das ganz anderen Resultat als das schon oben Verstandene.
著者
増井 三夫 福山 暁雄 鈴木 智子 齋京 四郎
出版者
上越教育大学
雑誌
上越教育大学研究紀要 (ISSN:09158162)
巻号頁・発行日
vol.24, no.1, pp.231-244, 2004

「学級」を同質的集団であるとする思い込み一学級文化主義はいま根本的な転換を余儀なくされている。相互行為の視点が導入されて久しいが,この文化主義を超える方法はいまだ模索の段階にある。合意形成研究が示すように,相互行為にみられる行為者の意味はもともと不確定である。とすると「学級」が異文化ないし個別文化が共生する空間へ転換する可能性は閉ざされているのか。本共同研究は,この共生の可能性について,まずは,保健室における養護教諭と来室者の会話記録から,両者の相互行為を解釈する方法として,エスノメソドロジーとコミュニケイション的行為論の有効性を検証することから着手している。検討と考察の結果は,養護教諭と来室者との間で相互に了解を志向する行為を解釈する方法はコミュニケイション的行為論による方法が有効であった。Changing a priori premise that classroom is homogenous group is almost inevitable nowadays. A view point of interactive action hat been discussed in fields of educational science and educational sociology: neversless the development of Methodology is till at groping level. According to the study of conflict and consensus, sense of actors in interactive action is naturally uncertainty. Then is the possibility of changing over schoolroom to a space coexisting with diverse individualties closed? This cooperative research aims at verifing the validity of theory of ethnomethdology and communicative action as the method to interpret interractive action between nurseroom attendance and school nurse. The result of verifing is the following: theory of communicative action by Habermas is more valid than ethnomethdology.