著者
増田 繁夫
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
no.23, pp.34-49, 2016-11-26

六条御息所が物の怪となり葵上に取り憑くほどの忿怒をおぼえたのは、葵上が車の所争いで御息所の存在を無視してふるまい、誇り高い御息所の自尊心を打ち砕いたことによる。十世紀に入ったころから貴族社会に物の怪が広く跳梁するようになるが、それはこの時期になって人々が内面世界を深くしてきたことによるものである。その結果、人々は理と非理、善と悪などの倫理的観念を発達深化させてきた。物の怪の顕現には、物の怪を見る側の人の「おびえ」や「後ろめたさ」の感覚がの発達が不可欠である。そしてこの「後ろめたさ」は「良心」の萌芽と考えられる。