著者
多田 伊織
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究
巻号頁・発行日
vol.48, pp.201-234, 2013-09-30

戦後の混乱期に、小石川蝸牛庵の再建を待たずして亡くなった幸田露伴(慶応三年〔一八六七〕~昭和二十二年〔一九四七〕)は、戦中から床に就くことが多くなり、ほぼ視力を失い、最後は寝たきりになりながらも、著述活動を続けた。しかし、戦時下の露伴の生活の実態は、存外に知られていない。本稿は、戦時下からその最期に至る最晩年の露伴の姿を、当時露伴の身近に侍していた家族や編集者の目を通して再構成しようとする試みである。
著者
多田 伊織
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.41, pp.373-411, 2010-03-31

丹波康頼が永観二(九八四)年に撰進した『医心方』三十巻は、当時日本に伝わっていた中国・朝鮮やインド起源の医書や日本の処方を集大成した、現存する日本最古の医学全書である。最善本は院政期の写本が中心となっている国宝半井家本であるが、幕末に幕府の医学館が翻刻するまで、ほとんど世に出なかった。その後も文化庁が買い上げる昭和五七(一九八二)年まで秘蔵されていた。
著者
多田 伊織
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
no.41, pp.373-411, 2010-03-31

丹波康頼が永観二(九八四)年に撰進した『医心方』三十巻は、当時日本に伝わっていた中国・朝鮮やインド起源の医書や日本の処方を集大成した、現存する日本最古の医学全書である。最善本は院政期の写本が中心となっている国宝半井家本であるが、幕末に幕府の医学館が翻刻するまで、ほとんど世に出なかった。その後も文化庁が買い上げる昭和五七(一九八二)年まで秘蔵されていた。『医心方』所引の先行医学書を、馬継興「『医心方』中的古医学文献初探(『撰進一千年記念 医心方』医心方一千年記念会 一九八六)は二百四種、一万八八一条と数える。その内、仏教関係の典籍は計十五もしくは十六種あるが、南朝の劉宋・南斉間の僧侶釈僧深の撰述した散逸医書『僧深方』は、『医心方』に多く引用されるだけでなく、『医心方』も引用する唐・王燾(六七〇?~七五五)『外台秘要方』に相当数採録されるなど唐代に重視されていた。『医心方』では直接引用二百・間接引用十九の計二一九条、『外台秘要方』では直接引用三二五・間接引用一三二の計四五八条を認め、重複を除いても、『僧深方』のまとまった輯佚が可能である。『僧深方』は、『隋書』経籍誌以降、書目に著録され、藤原佐世(八四七~八九七)『日本国見在書目録』医方家には「方集廿九巻 釈僧深撰」とあり、日本にも伝来していた。『僧深方』の構成は出典の巻次を明記する『外台秘要方』から一部復元できる。髄唐までに成立したおもな中国医書は、北宋において校正医書局の手で再編集され(宋改)ており、遣唐使などが将来した古鈔本に基づく『医心方』所引の文献は、宋改以前の本来の体裁を保つ点で貴重である。本稿では、『僧深方』輯佚の第一段階として『医心方』から『僧深方』を輯佚し、失われた『僧深方』がいかなる医学書であり、仏教東漸において、仏教医学がどのような役割を担ったかの一端を明らかにする。