著者
多賀 徹哉
出版者
広島大学
雑誌
中等教育研究紀要 (ISSN:09167919)
巻号頁・発行日
vol.34, pp.105-112, 1994-03-10

英語教科書は英語教育では中心的な役割を果たしてきた。幕末期においては英語学習は蘭学同様に即,西洋の知識や技術を取り入れる手段につながった。また,明治時代に英語教育が学校教育に取り入れられると,英語教科書が唯一の教材であり,これなくしては英語の授業は成り立たなかったと極論できそうな状況であった。従って当時の英語教科書の内容を研究することで英語教育の実態を探ることができるし,教科書の扱い方からは日本の英語授業のあり方を映しだす鏡を得ることになろう。日本の英語教育は明治初期から,訳読式のやり方が大勢であった。従って,1921年(大正12)のパーマーの来日と彼の活動による英語教育に対する意識の高まりはエポックメイキングな出来事であった。しかし,パーマー以前から英語教育界の中では,訳読式授業の弊害が批判され,音声重視の授業の提唱がなされていたのである。極めて大ざっぱな言い方になるけれども,パーマーほど整理されてはいないし,パーマーの時期ほど実践されてはいなかったが,パーマーの提唱の先覚者たちが確実に存在したのであった。そして,外山正一もまたその一人であったのである。彼の著書でもあり,先覚的な教授法を提唱した『英語教授法』の内容分析,そして,彼が編集に加わった『正則文部省英語讀本』の分析,『英語教授法』の主旨がどのように反映されているかの研究が,今後の英語教科書,英語教授法の指針のひとつとなり得るかもしれない。
著者
千菊 基司 多賀 徹哉 幸 建志
出版者
広島大学
雑誌
中等教育研究紀要 (ISSN:09167919)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.137-142, 1998-03-24

教育実習の最大の目的は,「授業を成立させる力」をつけることにあろうが,この力については教授が容易な技術と,そうでない技術に分けられると考えてよいであろう。特に後者は授業を通じて獲得されるものであるが,実習生の人数と教官の持ち時間の関係で限られた時間しか実際に授業の経験ができない。この点を克服するために,実習生全体に,(1)ビデオで録画した授業を媒介にした授業観察の指導とその後の指導案を考える演習,(2)指導案通りに進まない時の対処法についての講義,(3)発問の分類や発問を考え出す演習等を行った。初めての試みであったが参加した実習生には好評で,異なる学年を教える実習生がグループの枠を越えて多様な意見を交換することで,多くを学んだようである。本稿はその実践報告と,指導教官や実習生からのフィードバック等から得られた今後の課題からなる。