- 著者
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大渕 久志
- 出版者
- 日本中東学会
- 雑誌
- 日本中東学会年報 (ISSN:09137858)
- 巻号頁・発行日
- vol.34, no.1, pp.1-33, 2018
イスラームの哲学的神学(philosophical theology)についてイブン・スィーナー(アヴィセンナ、1037年没)の影響力が一般的に強調されるが、哲学的神学形成の立役者とされるファフルッディーン・ラーズィー(1210年没)は、イブン・スィーナーおよびアブルバラカート・バグダーディー(1152年没)の哲学のみならず、占星術や魔術のようなオカルト諸学にも造詣が深かった。これまでの研究は、これらオカルト諸学が自然学系の哲学として当時見なされていたにもかかわらず、ラーズィーの神学において占めるその価値を評価してこなかった。本論文は13世紀初頭における哲学的神学の実態を明らかにする研究の一部として、オカルト諸学を含む哲学がラーズィーの神学へどのように摂取されているかを考察する。第Ⅰ節の序論に続き、第Ⅱ節において彼の神学著作を時系列に沿って精査し、彼自身がどのような思想体系を哲学と認め、実際に受容したのかを検討する。すでに知られているように、ラーズィーはシャフラスターニー(1153年没)がその代表作『諸信条と諸宗教』(<i>al-Milal wa-l-niḥal</i>)においてサービア教徒内の分派、霊魂崇拝者のものとして記述していた宇宙論を、預言者を天使の下位に位置づける「哲学者」の教説として批判していた。霊魂崇拝者はヘルメスという神話的存在の権威を認め、占星術や宇宙霊魂を仲介とした魔術などのオカルト諸学を実践していたが、彼らの宇宙論をラーズィーが最晩年の『神学における崇高な課題』(al-Maṭālib al-'āliya min 'ilm al-ilāhī)では一転して自らの学説として採用している事実を筆者は新しく指摘する。第Ⅲ節では、ラーズィーが受容したところの「哲学者」すなわち霊魂崇拝者の由来を問う。近年の研究が明らかにしているように、サービア教徒と関連づけられてきたヘルメスという神話的人物が、シャフラスターニーを端緒としてイスラーム思想に積極的に取り入れられた。ラーズィーもこのアラビア・ヘルメス主義の興隆という時代に活動していた点を筆者は確認し、彼が認めた「哲学者」はこうした秘教的由来を有していることを指摘する。最後に第Ⅳ節では『神学における崇高な課題』をさらに読み、先の霊魂崇拝者の宇宙論のみならず、占星術や関連する天体魔術('ilm al-ṭilasmāt)などオカルト諸学の理論を神学へ受容していること、また彼がここで天体魔術師(aṣḥāb al-ṭilasmāt)を「古代の哲学者」と呼びあらわしていることを示す。ラーズィーは天体魔術師の思想を彼自身の神学へと受容した結果としてイブン・スィーナーと対照的に、流出(fayḍ)ではなく痕跡(athar)を鍵概念にする普遍霊魂論を採用し、人間のあいだの種(naw')を認める。霊魂崇拝者と天体魔術師はともにヘルメスの権威を認め、宇宙霊魂を仲介として地上に魔術的事象を実現することができると信じる。ラーズィーが両者を同一視していたか否かは断言できないが、彼はアヴィセンナ哲学の構造・概念をある程度保持しながらも代替となるべきものとして、オカルト諸学と通常呼ばれるような「哲学」を「神学」に統合したのである。