著者
宇田川 武久
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.190, pp.1-28, 2015-01-30

すでに天文十二年(一五四三)八月の種子島の鉄炮伝来は歴史の常識になっている。しかし、この根拠は伝来から半世紀以上もたった慶長十一年(一六〇三)に南浦文之の書いた『鉄炮記』にある。こんにちの鉄炮の隆盛は、ひとえに時堯が鉄炮を入手した功績によるものと顕彰し、とても天文十二年ごろのできごとは思えない、津田監物や根来寺の杉坊、堺の商人橘屋又三郎、松下五郎三郎なる人物を登場させて、鉄炮が種子島から和泉の堺、紀州の根来、畿内近邦から関東まで広まったと書いている。それなのにいまも『鉄炮記』の語る種子島の鉄炮伝来と伝播を唯一とする見方は少なくない。そもそも種子島の鉄炮伝来は漂着という偶発的出来事であり、一大船は倭寇の巨魁王直の唐船であり、かれらは明の海禁政策に違犯して東アジアの海を舞台に密貿易に奔走し、九州や西国の大名や商人と深く結びついた存在であった。私はこの事実に着目して倭寇が東南アジアの鉄炮を種子島と九州および西国地方に分散波状的に伝えたと主張してきた。鉄炮伝来の研究は明治以来、こんにちまで百年以上の蓄積があるものの、最近、中世対外関係史の分野において議論が再燃し、なかでも村井章介氏の発言がきわだっている。同氏は私の倭寇鉄炮伝来説には、①「朝鮮・明史料の火炮の解釈」、②「日本に伝来した鉄炮の源流」、③「様々な鉄炮の仕様が分散波状的伝来を意味するのか」の三点の疑問があるにもかかわらず、宇田川は十分な反論もおこなわないまま、倭寇鉄炮伝来説を独走するとつよく批判した。そして村井氏は鉄炮の伝来は、あくまでヨーロッパ世界との直接の出会いとして理解すべきと力説する。まさにこれは見解の相違であるが、本稿の目的は銃砲史・砲術史の視点から村井氏の三点の批判に応えることにある。
著者
山本 光正 宇田川 武久 齋藤 努 三宅 宏司 保谷 徹 山本 光正 坂本 稔 PAULJACK Verhoeven 前川 佳遠理 高塚 秀治 村上 藤次郎 法華 三郎信房 法華 三郎栄喜 伊達 元成 服部 晃央
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2006

国内・国外に所蔵される銃砲に関する文献史料(炮術秘伝書)および実物資料(銃砲)の調査を行い、16世紀なかば鉄炮伝来から19世紀末の明治初年までの日本銃砲史が5期に区分できることを示し、またその技術的変遷を明らかにした。鉄炮銃身に使用されている素材である軟鉄を作るための精錬方法である大鍛冶はすでに技術伝承が途絶えていたが、文献記録にある各工程の意味を明らかにし、その再現に成功した。