著者
片岡 勝子 洲崎 悦子 安嶋 紀昭 馬場 悠男
出版者
広島大学
雑誌
特定領域研究
巻号頁・発行日
2004

江戸時代に医学教育研究のために10体余の木製人体骨格模型(木骨)が制作された。現存するのは星野木骨(身幹儀,1792年制作),各務木骨(1810年頃),奥田木骨2体(1820年頃),及び各務小木骨である。私たちは科研費により前4者と関連事項について調査研究した。真骨は全て刑死人のものであり,全ての木骨で舌骨が欠損している。星野木骨は医師,星野良悦が工人,原田孝次に制作させた等身大の成人男性骨格模型で,全ての模骨が揃っている。各骨は原則として別々に作られ,〓と〓孔で結合できる。骨は薄い茶色に,軟骨は白く塗られている。頭蓋冠は切っていないが,X線撮影及び内視鏡観察により,頭蓋内の構造も作られ,ほとんどが正確に頭蓋内外を連絡していた。各務木骨は医師,各務文献が田中某に作らせた等身大の成人男性骨格であるが,かなりの骨が欠損している。各骨は〓と〓孔で連結する。頭蓋は木片を繋ぎ合わせて作り,表面に和紙を張って薄茶色に彩色している。頭蓋冠は斜めに切られ,頭蓋内構造を観察できる。奥田木骨2体は同じ骨をモデルとし,奥田万里が細工師・池内某(またはその工房)に彫らせた等身大の成人女性骨格である。桧材を精巧に彫って形作り,一部の軟骨のみを白または褐色に彩色している。頭蓋は頭蓋冠を水平断し,内部構造が見える。奥田木骨は椅座位で展示できるように専用の台座や支柱があり,胸郭や骨盤は一体化し,組み立ての装具に工夫が見られる。各部の精粗については,それぞれの木骨で長短があるが,当時の日本にあった解剖学書の図に比べて極めて正確である。木骨は人骨を座右において観察できなかった江戸時代の医師が作らせた我国特有の医学資料で,正確・精巧に作られており,当時の医師の探究心,工人の観察眼の確かさ,技術の高さを伝える貴重な資料である。
著者
安嶋 紀昭
出版者
広島大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2005

本研究の目的は、鶴林寺(兵庫県加古川市)の国宝太子堂内部に描かれている絵画群について、第一にその全図様を把握し、第二に表現や技法の検討を通じて、絵画史上の位置付けを明確化することにあった。荘厳画は、(1)来迎壁の表裏、(2)四天柱、(3)四天柱筋上小壁、(4)側柱筋上小壁、(5)格狭間、(6)東壁春日厨子内壁に分別できるが、(6)以外は永年の薫煙等が画面上を厚く覆い、黒化して、肉眼による識別はほとんど不可能な状態にある。そこで、最新のデジタル撮影装置を駆使して膨大なデータを収集したが、本年度はこれらをパソコンによって合成した復元的図様について、主に表現・技法の観点から詳細に分析した。また、石山寺所蔵重要文化財絹本著色仏涅槃図など、特に線描の質の比較考察に有効な資料をも検証した結果、以下のような成果を得た。荘厳画の図様は、(1)が表面に九品来迎図、裏面に仏涅槃図。(2)が東柱に八菩薩・十二神将、南柱に二菩薩・十羅刹女・八部衆、西柱に倶利迦羅龍剣・五童子、北柱に不動明王・三童子・五部使者・孔雀明王。(3)が飛天と楽器。(4)が千仏。(5)が獅子・麒麟等霊獣。(6)が聖徳太子毘沙門天感応霊験図といった内容であることが確かめられたが、これらの表現は(4)を除き、童子の指や耳の細部、雲や蓮弁のふくらみ、巴文の多様など極めてよく共通していて、すべてが卓抜した技量を誇る一人の画家によって主導されたことを窺わしめる。その異国的描写は、藤原道長の頃に盛んに輸入された北宋の影響を強く感じさせ、古い粉本に拠ることが想定されるが、鋭い打ち込みや抑揚を強調して線描自体に表情を持たせる特徴は、1200年頃の石山寺本には未だ不慣れな点があるのに対し、荘厳画の線描は習熟度の頂点に達しており、その制作は定説の天永3年(1112)ではなく、太子堂改築修理の宝治3年(1249)であることが証明できた。