著者
安川 慶治
出版者
関西外国語大学
雑誌
研究論集 (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.99, pp.169-182, 2014-03

R.シューマンの音楽には、音楽そのものの異常さの喩であるような、なにか異常なものがある。ロマン主義の他の作曲家たちと異なって、シューマンの作品の中心にあるのは、主観的な語りではなく、主観的なものの成立そのものを、たえず音楽によって捉え返そうとする強迫である。シューマンの最良の作品の多くに感じ取られる独特の感興-主観的なものの無根拠=深淵を垣間見せる凄みとでも言うべきもの-は、蓋しそこに淵源する。 本稿は、こうしたシューマンという特異点において「音楽とは何か」という問いを問うための予備的な試みとして、彼のピアノ曲の傑作のひとつ《幻想曲》(op.17)の第1楽章を取り上げ、簡単な作品分析によってその異形性を明らかにし、そこに露呈されるものを考察する。
著者
安川 慶治
出版者
関西外国語大学
雑誌
研究論集 (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.88, pp.207-225, 2008-09

エズラ・パウンドは、1910年代のイギリスに自由詩の革新を謳うイマジズム運動を展開し、また後には独特のスタイルで長大な叙事詩『詩篇』The Cantos を綴ったことで知られるアメリカの詩人である。彼はまた、1933年にムッソリーニと面会し、イタリア・ファシズムを新しい時代の可能性ととらえ、その協力者とみなされる立場を取ったことでも知られる。第2次世界大戦後、パウンドはアメリカで13年間にわたって精神病院に拘禁されるが、その拘禁中に彼は、日本の能の形式での上演を夢見て、ソポクレスの悲劇『トラキスの女たち』を翻案・翻訳した作品を残した。自作への懐疑にとらわれ、ついに沈黙へといたる戦後のパウンドは『トラキスの女たち』に何を託したのか。本稿はパウンド版『トラキスの女たち』に、パウンドが自分自身の「悲劇」とどう向き合おうとしたのか、それを知る手掛かりを求める試みである。