著者
丹下 和彦
出版者
関西外国語大学
雑誌
研究論集 (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.79, pp.77-93, 2004-02
著者
平井 知香子
出版者
関西外国語大学
雑誌
研究論集 (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.87, pp.113-133, 2008-03

あまり知られていないことであるが、サンドは子供の頃からデッサンや水彩画に親しみ、生涯に数多くの作品を残している。特に晩年の風景画「ダンドリット」は独特で、後のシュルレアリスムの画家たちが主張した「偶然」や「無意識」を連想させる。 夢想癖のあったサンドは子どもの頃、母が読む物語を聞くうちに緑色の火よけ衝立の上に様々な映像を見た。このことが後の芸術創造に影響した。また少女時代の作品に、「ロールシャッハテスト」そっくりの「折り紙による染み」がある。左右対称の「偶然」に生まれる図形に対する興味が、晩年の「ダンドリット」における「水に映った風景」へと発展した。 サンドは同時代の画家ドラクロワやコローなどとの交流を通じ近代絵画に対する興味を広げた。また孫娘への遺書として、愛する故郷ベリーの自然、19世紀の科学思想、進歩思想を背景にした童話集『祖母の物語』を書いた。彼女にとって絵画は物語と同様に、空想と現実を行き来する「夢のエクリチュール」であった。図を引用してサンドの絵画の先見性を明らかにした。
著者
伊藤 道治
出版者
関西外国語大学
雑誌
研究論集 (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.78, pp.93-108, 2003-08
著者
吉村 耕治
出版者
関西外国語大学
雑誌
研究論集 (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.84, pp.75-92, 2006-09

1953年以降、日本では台風を発生順に通し番号を付けて呼んでいるが、アメリカ合衆国ではhurricaneを個人名で呼ぶ慣行が定着している。米国では1953年にハリケーンの名称に女性の個人名の採用が正式に決まったが、1979年には女性名だけでなく、男性名の採用も決まり、1979年以降はアルファベット順に男性と女性の個人名が交互に使用されている。この現象は米国の人権意識の高さを表すだけではない。兄弟姉妹、両親、上司にも個人名を用いる習慣が反映しており、行為者を重視する表現を好むという英語表現の伝統的な傾向とも深く結びついている。台風の呼び名には、「お兄[姉]さん」「お父[母]さん」「部[課]長」という立場や役職上の名前を敬称として用いる日本語の習慣が関連している。英語と日本語によって熱帯性低気圧の命名法が異なるという現象の根源に、「人を中心に考える」英語文化と「人と人の関係」、つまり、「状況を中心に考える」日本語文化という相違が内在している。
著者
平井 知香子
出版者
関西外国語大学
雑誌
研究論集 (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.95, pp.165-184, 2012-03

イタリアを舞台としたサンドの『スピリディオン』には、ヴェネツィア出身の版画家ピラネージの《幻想の牢カルチェリ獄》を思わせる一場面がある。修道士アレクシは教会の創始者スピリディオンの秘密を知るため、深夜教会の地下埋葬所に階段を降りていく。ゴチック式教会の内陣に彼が見たものは、司祭たちによる殺人であった。この階段のイメージは、ミュッセが翻訳した、ド・クインシーの『阿片吸飲者の告白』中にあるピラネージの《幻想の牢カルチェリ獄》に関する記述と共通している。またミュッセは螺旋階段を下降するピラネージ的幻想を自身の『世紀児の告白』の中に何度も使用している。子供のころ、祖母の書斎でピラネージの版画集を見て以来イタリアに憧れるようになったサンドは、『世紀児の告白』を読んで影響され、『スピリディオン』の階段を下降する場面を描いたのではないか。以上のことを明らかにしてみたい。
著者
毛利 雅子
出版者
関西外国語大学
雑誌
研究論集 (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.97, pp.225-236, 2013-03

アメリカやオーストラリアなどの通訳研究先進国では、法廷通訳人の役割、法廷内でのクライアントとの物理的位置、またクライアントの権威や権力がコミュニケーションに与える影響などに関する研究が既に進んでいる。しかし、裁判所をはじめとする法廷参与者は、依然として通訳人を単なる「言語の置き換えマシーン」と認識しているのが現状である。日本の法廷通訳人は1人で最大6人のクライアント(通訳を必要とする立場)に対応しなければならず、「言語の置き換えマシーン」としての状況はさらに厳しいものとなっている。 本研究ノートでは、Goffman の参与フレームワーク、Fairclough のゲートキーパー的役割論、Gallois らのコミュニケーション調整理論をベースに、日本とアメリカでの法廷レイアウトを用いて、日本における法廷通訳人の現状を分析すると共に、今後の課題を提示する。
著者
安川 慶治
出版者
関西外国語大学
雑誌
研究論集 (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.99, pp.169-182, 2014-03

R.シューマンの音楽には、音楽そのものの異常さの喩であるような、なにか異常なものがある。ロマン主義の他の作曲家たちと異なって、シューマンの作品の中心にあるのは、主観的な語りではなく、主観的なものの成立そのものを、たえず音楽によって捉え返そうとする強迫である。シューマンの最良の作品の多くに感じ取られる独特の感興-主観的なものの無根拠=深淵を垣間見せる凄みとでも言うべきもの-は、蓋しそこに淵源する。 本稿は、こうしたシューマンという特異点において「音楽とは何か」という問いを問うための予備的な試みとして、彼のピアノ曲の傑作のひとつ《幻想曲》(op.17)の第1楽章を取り上げ、簡単な作品分析によってその異形性を明らかにし、そこに露呈されるものを考察する。
著者
岡田 啓
出版者
関西外国語大学
雑誌
研究論集 (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.86, pp.113-131, 2007-09

「学校に行く」の英訳はgo to school, leave for school, set off to school, get to school など何通りもある。脈絡によって,これらの中の最も適当なものが選択される。換言すれば,特定の脈絡を英語という言語でいかに切り取るのかをわきまえておかねば,正しい英語表現とはならない。上記のフレーズのうちどれを選ぶかはしばしば副詞との共起の中で決定される。その考慮をしない日本人の書く英語が不自然になる一大原因は正にここにある。例えば I go to school on week days. とは言えても,I go to school at 9 o'clock. はかなり曖昧な表現で,きちんとした正確な英語とは言い切れない。日常のカジュアルな表現としては,使用される状況より判断して「学校に向けて家を出るのが9時だ」と解釈できないことはない。しかし,英米のジャーナリスト・作家などは,大抵 I [left for / got to] school at 9 o'clock. のように,出発時を言うのか到着時を言うのかを指定している。この小論では,「学校に行く」という表現がいかなる副詞とどのような結び付きで用いられるのか,またそのとき,どのようなニュアンスで用いられているのかコーパスを用いて探り当て,具体例を挙げて用法を検証する。
著者
田村 直樹
出版者
関西外国語大学
雑誌
研究論集 (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.98, pp.39-54, 2013-09

本稿の目的は、社会学のエスノメソドロジーに依拠した質的方法によって、定量調査やインタビューといった方法では十分に見いだせない消費の問題を探求し、商品開発に活かせるアプローチを提示することである。このアプローチをテクスト連接分析と呼ぶ。これは、消費者本人の語りおよび周囲の語りをもヒアリングし、それぞれがどのような語りの連接をしているのかを分析するものである。アンケートの数字には表れない水面下の消費者の購買心理パターンを解明するためには、消費者個人の消費傾向を見ていく必要がある。特に、消費者本人が商品に対してどのような語りをしているのか、周囲の人々がどのようにその人物を語るのか、という「語り(テクスト)」を分析していくことを重視する。こうした質的調査を商品開発に活かすことで、マーケティング競争のための筋書きを描く新たな可能性が提示できると考えられる。
著者
丹下 和彦
出版者
関西外国語大学
雑誌
研究論集 (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.87, pp.135-150, 2008-03

ギリシア悲劇の競演の最終審査は、予選通過者3人がそれぞれ一日に4篇の劇を上演して競われるが、その4番目に上演される劇はサテュロス劇であるのが通例である。サテュロス劇とは、山野の精サテュロスが合唱隊に扮して幾分品の悪い下ネタで笑いを取る短い笑劇である。ここに取り上げる『アルケスティス』は、サテュロスは登場しないものの4番目に上演された劇であるゆえに、古来サテュロス劇の代替作品と見なされてきた。 本稿は、そのサテュロス劇的要素を劇中に探りながら、同時に作者エウリピデスが唯一残存するサテュロス劇『キュクロプス』で見せた笑劇の背後の真摯な人間観、また鋭い時代意識が本編にも見られるかどうか、主要人物アルケスティス、アドメトスの死生観をもとに考察する。
著者
小村 親英 鹿浦 佳子
出版者
関西外国語大学
雑誌
関西外国語大学留学生別科日本語教育論集 (ISSN:24324574)
巻号頁・発行日
vol.24, pp.91-104, 2015-03-30

日本語初級の教科書には、イ形容詞の否定形活用「〜くない」が導入されているものが多い。しかし、日本語母語話者の実際の会話ではその形容詞の否定形活用を使った文はあまり使われず、代わりに対義語が使われるという調査結果がある。関西外国語大学留学生を対象にした調査でも対義語を使う頻度の方が高かった。本稿では、この調査結果に留意し、対義語を使った新しいイ形容詞の指導方法を提案する。
著者
大川 英明
出版者
関西外国語大学
雑誌
関西外国語大学留学生別科日本語教育論集 (ISSN:24324574)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.21-36, 2012

本稿では日本語の複文における主節と従属節の時の関係について考察し、その関係を規定する要素を提案することにより特に中・上級の日本語を担当する教師が理解しておくべき要素を明らかにする。まず、日本語教科書における名詞修飾節と「とき」節における時の関係を日本語教科書がどのように扱っているかを分析し、そこで扱われている時の関係を明らかにする。それに基づいて、そこでは考慮されていない時の関係を指摘し、複文における時の関係の全体像を洗い出す。さらに、具体例を示し、複文における主節と従属節の時の間に実際に許される時の関係は従属節のテンス選択特性、従属節の特性、文の内容、等により決まってくることを主張する。日本語教科書には複文における時の関係の詳細な説明はないので、教師が特に中・上級を担当する場合には生教材に含まれる様々な複文における時の関係を扱う場合にこのような知識は役に立つであろう。