著者
安永 信二
出版者
日本時間学会
雑誌
時間学研究 (ISSN:18820093)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.1-19, 2013 (Released:2017-06-30)

前424年、喜劇詩人アリストファネスは『雲』の中で、市民たちを前に「暦が月齢に合ってない」と月の不満をこぼさせた。この一節と前5世紀終わりのアテナイの暦をめぐって、これまでMerittとPritchettをはじめ多くの研究者たちが当時の暦について議論してきたが、説得的と思われる論はまだ出されていない。そこで本論は、これまで議論の根拠とされてきた碑文史料と文献史料を再検討することとした。 当時、暦は1年を10に分けたプリュタネイア暦(評議会暦)と、月齢に即した祭祀暦の2つがあり、始まりも終わりも同じ日になることはなかった。これまで研究者は、どちらかが規則性を持っているが、もう一つは不規則だったために「月の不満」になったと考えてきた。しかし、IG i3 369、i3 377などの碑文を再検討することにより両暦ともに一定の規則性を持っていた可能性があることを発見したのである。しかしこの規則性は前5世紀終わりを通して続いたものではなく、少なくとも1回は改訂されていた。改訂後も一定の規則性を有しており、これが研究者を悩ましてきた問題ではないかと思われる。