著者
安藤 広道
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.185, pp.405-448, 2014-02-28

「水田中心史観批判」は,過去四半世紀における日本史学のひとつのトレンドであった。それは,文化人類学,日本民俗学の問題提起に始まり日本文献史学,考古学へと拡がった,水田稲作中心の歴史や文化の解釈を批判し,畑作を含む他の生業を視野に入れた多面的な歴史の構築を目指す動きである。その論点は多様であるが,一方で日本文化を複数の文化の複合体とし,水田中心の価値体系の確立を律令期以降の国家権力との関係で理解しようとする傾向が強く認められる。そして考古学の縄文文化,弥生文化の研究成果も,その動向に深く関わってきた。しかし,そこで描かれた複数の文化の対立や複合の歴史は,位相の異なる文化概念の混同のうえに構築されたものであり,その土台としての役割を担ってきた縄文文化や弥生文化の農耕をめぐる研究成果も,必ずしも信頼できる資料に基づくものではなかった。文化概念の整理と,農耕関係資料の徹底した資料批判を進めた結果,「水田中心史観批判」が構築してきた歴史は,抜本的な見直しが必要であることが明らかになった。「水田中心史観批判」は,批判的姿勢と視点の多様化が,多面的で厚みのある歴史の構築を可能とし,併せて研究対象資料と分析方法の幅の拡充につながることを示してきた。一方で,文化の概念から個々の観察事実に至る理論に対する議論が充分でなく,「水田中心史観」に対する批判の意識が強すぎたこともあって,研究成果を批判的・内省的に見直す姿勢が弱くなってしまっていた。そのため,視点の多様化の有効性が生かされず,複数の学問分野のもたれ合いのなかで,問題ある歴史が構築されることになったのである。今後は,こうした「水田中心史観批判」の功罪を踏まえ,相互批判と内省を徹底し,より多くの事象を説明し得る広い視野に基づく理論の構築と表裏一体となった歴史研究を進めていく必要がある。
著者
安藤 広道
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.152, pp.203-246[含 英語文要旨], 2009-03

本稿の目的は,東日本南部以西の弥生文化の諸様相を,人口を含めた物質的生産(生産),社会的諸関係(権力),世界観(イデオロギー)という3つの位相の相互連関という視座によって理解することにある。具体的には,これまでの筆者の研究成果を中心に,まず生業システムの変化と人口の増加,「絵画」から読み取れる世界観の関係をまとめ,そのうえで集落遺跡群の分析及び石器・金属器の分析から推測できる地域社会内外の社会的関係の変化を加えることで,3つの位相の相互連関の様相を描き出すことを試みた。その結果,弥生時代における東日本南部以西では,日本列島固有の自然的・歴史的環境のなかで,水田稲作中心の生業システムの成立,人口の急激な増加,規模の大きな集落・集落群の展開,そして水(水田)によって自然の超克を志向する不平等原理あるいは直線的な時間意識に基く世界観の形成が,相互に絡み合いながら展開していたことが明らかになってきた。また,集落遺跡群の分析では,人口を含む物質的生産のあり方を踏まえつつ,相互依存的な地域社会の形成と地域社会間関係の進展のプロセスを整理し,そこに集落間・地域社会間の平等的な関係を志向するケースと,明確な中心形成を志向するケースが見られることを指摘した。この二つの志向性は大局的には平等志向の集落群が先行し,生産量,外部依存性の高まりとともに中心の形成が進行するという展開を示すが,ここに「絵画」の分析を重ねてみると,平等志向が広く認められる中期において人間の世界を平等的に描く傾向があり,多くの地域が中心形成志向となる後期になって,墳丘墓や大型青銅器祭祀にみられる人間の世界の不平等性を容認する世界観への変質を想定することが可能になった。このように,物質的生産,社会的諸関係,世界観の相互連関を視野に入れることで,弥生文化の諸様相及び前方後円墳時代への移行について,新たな解釈が提示できるものと思われる。