著者
宮川 久美
出版者
奈良佐保短期大学
雑誌
研究紀要 (ISSN:13485911)
巻号頁・発行日
no.21, pp.25-34, 2013-03-31

この作品は,従来,スーホの白馬に対する思いの深まり,純粋な愛,「変わらぬ絆」を描いていると解釈されてきた.しかし本稿は,スーホの二度の決断をとおして,彼の白馬に対する愛の変容を描いていると考えた.一度目は,白馬にまたがって殿様主催の競馬に出たこと.それは,白馬と他の馬とを比べることであり,自慢の白馬をみんなに見せびらかすことである.その結果白馬を失うことになる.二度目の決断は,スーホの元に瀕死の重傷を負いながら帰ってきて翌日死んだ白馬が夢に現れ,自分の体で楽器を作るようにと言ったとき.白馬の,身を以てスーホを慰めようとする愛に呼応してスーホの愛は「ぼくの白馬」という「所有の愛」を超え,対等の愛,個の尊厳を認めた手放す愛へと昇華する.この結果,楽器「馬頭琴」はひとりスーホを慰めるだけでなく,聞く人の心をゆりうごかし,広いモンゴルの草原中に,ひろまって,多くの羊飼いたちの一日の疲れを忘れさせるものになったのである.
著者
宮川 久美
出版者
奈良佐保短期大学
雑誌
奈良佐保短期大学研究紀要 = Bulletin of Nara Saho College (ISSN:13485911)
巻号頁・発行日
no.21, pp.25-34, 2013-03-31

この作品は,従来,スーホの白馬に対する思いの深まり,純粋な愛,「変わらぬ絆」を描いていると解釈されてきた.しかし本稿は,スーホの二度の決断をとおして,彼の白馬に対する愛の変容を描いていると考えた.一度目は,白馬にまたがって殿様主催の競馬に出たこと.それは,白馬と他の馬とを比べることであり,自慢の白馬をみんなに見せびらかすことである.その結果白馬を失うことになる.二度目の決断は,スーホの元に瀕死の重傷を負いながら帰ってきて翌日死んだ白馬が夢に現れ,自分の体で楽器を作るようにと言ったとき.白馬の,身を以てスーホを慰めようとする愛に呼応してスーホの愛は「ぼくの白馬」という「所有の愛」を超え,対等の愛,個の尊厳を認めた手放す愛へと昇華する.この結果,楽器「馬頭琴」はひとりスーホを慰めるだけでなく,聞く人の心をゆりうごかし,広いモンゴルの草原中に,ひろまって,多くの羊飼いたちの一日の疲れを忘れさせるものになったのである.
著者
宮川 久美
出版者
奈良佐保短期大学
雑誌
奈良佐保短期大学研究紀要 = Bulletin of Nara Saho College (ISSN:13485911)
巻号頁・発行日
no.21, pp.1-23, 2013-03-31

本書は、正倉院文書の中の月借り銭解について、訓読と注釈を試みたものである。東大寺正倉院には、正倉院文書と呼ばれる奈良時代の文書群が納められている。この「正倉院文書」は、転写を経ない千三百年前の生の資料であるという点で非常に価値が高い。すでにその価値に着目して様々な研究がなされ、建築・美術・工芸・服飾・食物・産業・経済など多方面にわたる数多くの成果が上げられている。しかい、国語学の分野の研究はいまだ緒についたばかりと言ってよいのではないだろうか。正倉院文書を一言一句訓読することは奈良時代の言葉の研究にとって大きな意味を持つと考えられ、ひいては逆に様々な分野の研究に資することもできるのではないかと期待される。
著者
宮川 久美
出版者
奈良佐保短期大学
雑誌
奈良佐保短期大学研究紀要 = Bulletin of Nara Saho College (ISSN:13485911)
巻号頁・発行日
no.22, pp.1-13, 2014

この作品は,国語の教材としても道徳の教材としても,心から友を思う友情・真の友情を主題としていると考えられている.そして,「互いに」とは言いつつ,むしろ青おにの,友達のために自己を犠牲にする行為の方に主眼が置かれているようである.しかし,本稿ではこの作品の主題について再検討し,主人公は赤おにであること,青おにの行為は善意から発したものではあったが,真に赤おにの気持ちを理解したものではなかったことを明らかにした.この作品は,「おに」として生まれてきた主人公の赤おにが,「私はおにに生まれてきたが,おにどものためになるなら,できるだけ,よいことばかりをしてみたい.いや,そのうえに,できることなら,人間たちのなかまになって,なかよくくらしていきたいな.」という望みを持ちながら,「おに」は乱暴者である,という偏見差別から自らも自由になれなかったがゆえに,その願いを叶えることの出来なかった悲しみを描いていると考えた. このような,「おに」と「人間」との関係性は,子どもたちの身の回りでも多々あり得ることである.大は,国家間でも民族間でも,村のような共同体の間でも,小は,家と家との関係でも,友達集団同士の関係でも,身近にあるだろう.真の友情,真の融和とは何かを考えるのに適した教材として扱ってこそ,この作品の主題が活かされるだろう.
著者
宮川 久美
出版者
奈良佐保短期大学
雑誌
研究紀要 = Bulletin of studies (ISSN:13485911)
巻号頁・発行日
no.22, pp.1-13, 2014

この作品は,国語の教材としても道徳の教材としても,心から友を思う友情・真の友情を主題としていると考えられている.そして,「互いに」とは言いつつ,むしろ青おにの,友達のために自己を犠牲にする行為の方に主眼が置かれているようである.しかし,本稿ではこの作品の主題について再検討し,主人公は赤おにであること,青おにの行為は善意から発したものではあったが,真に赤おにの気持ちを理解したものではなかったことを明らかにした.この作品は,「おに」として生まれてきた主人公の赤おにが,「私はおにに生まれてきたが,おにどものためになるなら,できるだけ,よいことばかりをしてみたい.いや,そのうえに,できることなら,人間たちのなかまになって,なかよくくらしていきたいな.」という望みを持ちながら,「おに」は乱暴者である,という偏見差別から自らも自由になれなかったがゆえに,その願いを叶えることの出来なかった悲しみを描いていると考えた. このような,「おに」と「人間」との関係性は,子どもたちの身の回りでも多々あり得ることである.大は,国家間でも民族間でも,村のような共同体の間でも,小は,家と家との関係でも,友達集団同士の関係でも,身近にあるだろう.真の友情,真の融和とは何かを考えるのに適した教材として扱ってこそ,この作品の主題が活かされるだろう.This is a story which is often used as a teaching material for both Japanese language and moral education.Its subject is usually interpreted to represent true friendship.It seems that the story focuses on one's sacrificial behavior to the other,rather than "mutual" consideration.In this paper,I'd like to reconsider the subject of this story. I concluded that this story described the sorrow of Aka-oni (red ogre,the main character of the story).I examined the story as follows: although Aka-oni hoped to be kind and friendly to humans and do only good to humans as much as possible,he himself couldn't get away from the prejudice that "ogres" are violent.Aka-oni couldn't realize his hope because of the failure to escape from the prejudice and this is the sorrow represented in the story. Such relationship between "ogres" and "humans" can often be seen in children's surroundings as well,ranging from nation-to-nation,race-to-race,or community-to-community relationships and relationships between families or group of friends.I consider the subject of this story would be truly understood and thus meaningful when treated as a material to have students think about what is true friendship or what is true integration.論文
著者
宮川 久美
出版者
奈良佐保短期大学
雑誌
研究紀要 (ISSN:13485911)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.1-37, 2011-03-31

本書は、正倉院文書の中の月借り銭解について、訓読と注釈を試みたものである。東大寺正倉院には、正倉院文書と呼ばれる奈良時代の文書群が納められている。この「正倉院文書」は、転写を経ない千三百年前の生の資料であるという点で非常に価値が高い。すでにその価値に着目して様々な研究がなされ、建築・美術・工芸・服飾・食物・産業・経済など多方面にわたる数多くの成果が上げられている。しかい、国語学の分野の研究はいまだ緒についたばかりと言ってよいのではないだろうか。正倉院文書を一言一句訓読することは奈良時代の言葉の研究にとって大きな意味を持つと考えられ、ひいては逆に様々な分野の研究に資することもできるのではないかと期待される。