著者
鶴見 東志子 益田 敦子 大石 正
出版者
奈良佐保短期大学
雑誌
研究紀要 = Bulletin of studies (ISSN:13485911)
巻号頁・発行日
no.16, pp.11-21, 2009-03-31

ジャンガリアンハムスターは, 冬季において日中体温を約10-20℃減少させる日内休眠を示す.今回, 休眠と非休眠の状態において体温および歩行活動の概日およびウルトラジアンリズムの特徴を明らかにすることを試みた.実験の前に, 雄の成体ハムスターを長日・高温(LP-HT)においた, その後, 動物を短日・低温(SP-LT)に移し, 約6ヶ月の間, この条件のもとにおいた.実験中, 体重と摂食量をモニターした.歩行活動と体温のリズムをテレメーターシステムにより3分から5分間隔で記録した.SP-LTに対する反応において二つのタイプが認められた, すなわち, 体温を下げて日内休眠を示すタイプと体温を下げずに日内休眠を示さないタイプである.非休眠個体は実験期間中ずっと体温と歩行活動において概日リズムを示した.一方, 休眠個体は, 日内休眠を示す期間, 体温は概日リズムを示し, 歩行活動は概日リズムとウルトラジアンリズムの両方を示した.しかしながら, 非休眠時における休眠個体は,体温リズムは概日リズムとウルトラジアンリズムの両方の成分を示したが, 歩行活動リズムにおいては, ウルトラジアンリズムのみを示した.この概日リズムとウルトラジアンリズムの分離発現の機能的意味について検討した.
著者
宮川 久美
出版者
奈良佐保短期大学
雑誌
研究紀要 = Bulletin of studies (ISSN:13485911)
巻号頁・発行日
no.22, pp.1-13, 2014

この作品は,国語の教材としても道徳の教材としても,心から友を思う友情・真の友情を主題としていると考えられている.そして,「互いに」とは言いつつ,むしろ青おにの,友達のために自己を犠牲にする行為の方に主眼が置かれているようである.しかし,本稿ではこの作品の主題について再検討し,主人公は赤おにであること,青おにの行為は善意から発したものではあったが,真に赤おにの気持ちを理解したものではなかったことを明らかにした.この作品は,「おに」として生まれてきた主人公の赤おにが,「私はおにに生まれてきたが,おにどものためになるなら,できるだけ,よいことばかりをしてみたい.いや,そのうえに,できることなら,人間たちのなかまになって,なかよくくらしていきたいな.」という望みを持ちながら,「おに」は乱暴者である,という偏見差別から自らも自由になれなかったがゆえに,その願いを叶えることの出来なかった悲しみを描いていると考えた. このような,「おに」と「人間」との関係性は,子どもたちの身の回りでも多々あり得ることである.大は,国家間でも民族間でも,村のような共同体の間でも,小は,家と家との関係でも,友達集団同士の関係でも,身近にあるだろう.真の友情,真の融和とは何かを考えるのに適した教材として扱ってこそ,この作品の主題が活かされるだろう.This is a story which is often used as a teaching material for both Japanese language and moral education.Its subject is usually interpreted to represent true friendship.It seems that the story focuses on one's sacrificial behavior to the other,rather than "mutual" consideration.In this paper,I'd like to reconsider the subject of this story. I concluded that this story described the sorrow of Aka-oni (red ogre,the main character of the story).I examined the story as follows: although Aka-oni hoped to be kind and friendly to humans and do only good to humans as much as possible,he himself couldn't get away from the prejudice that "ogres" are violent.Aka-oni couldn't realize his hope because of the failure to escape from the prejudice and this is the sorrow represented in the story. Such relationship between "ogres" and "humans" can often be seen in children's surroundings as well,ranging from nation-to-nation,race-to-race,or community-to-community relationships and relationships between families or group of friends.I consider the subject of this story would be truly understood and thus meaningful when treated as a material to have students think about what is true friendship or what is true integration.論文