著者
宮澤 優樹
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.15, pp.25-38, 2015

世界的な人気を博したシリーズの第一作である『ハリー・ポッターと賢者の石』は、一見して夢に満ちたファンタジー小説だ。だがその表面的な覆いを取り払ってみたとき、一般的に思われている明るい側面とは別の、「怖い」側面を読み取ることもできる。事実『賢者の石』では、「表面的な見かけの下にあるものを推理せよ」と言うかのように、隠蔽とその内実という組み合わせが多用されている。主人公のハリーが迎えられる世界は、普通の人間の目からは隠された世界だし、対峙することになる宿敵は、おどおどとした無難な人物の皮をかぶり、つねに近くにいる。これらはいずれも、なんの変哲もない見た目を隠れ蓑とし、ほんとうの姿を隠している。このようなプロット上の仕掛けが、物語全体についても当てはまっているのではないだろうか。作品の隠された姿へと、登場人物や情景が漏らす細部を順に追うことでたどり着くことができる。その先にあるのは、生死が軸となったハリーと宿敵との関係である。ハリーは、「例のあの人」と呼ばれ、すでに死んだはずの宿敵と共通する性質を持つ。ハリー自身もまた、生死の境におり、直接には名指しえない性質を抱えている。そのことは、ハリーを「生き残った男の子」と呼ぶことが欺瞞であり、同時に、宿敵をはっきりと名指すことが、不誠実な態度であることを示唆する。したがって、『賢者の石』が迎えた結話、「名指しにくい相手を名指す」、「前を向いて生きる」という決意は、表面的な見せかけなのだとも読める。前向きなメッセージが発せられる一方で、それとはちょうど逆の筋書きが描かれている。この物語は、児童文学という「隠蔽」と、それに並行する名状しがたい状態を描く、二重の小説なのである。
著者
宮澤 優樹
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.73-84, 2016-12-15

ホラー作家として知られるStephen King(1947-)のThe Body(1982)は,作家がホラー小説を書くことについて自己言及的に表現している。この作品は小説家を語り手として,行方不明の同級生の死体を発見しようとした幼い頃の経験を描いている。その冒頭で,これから始まる物語は「言葉では言い尽くせない大切な経験」だと語り手は宣言する。対象を言語化するのが困難であることを認めることは,そのこと自体が自身の作家としての存在意義に疑義を提示するように見える。だが語り手は,言葉にしづらいことがらを,誰もが見聞きしたことのあるホラー小説のクリシェを用いて表現することによって,その対象が恐怖の形をとって体験可能なものに置き換えている。こうして,言葉に言い尽くせぬものは体験される。このことを小説家志望の幼い語り手を通して表現した上で,King はさらに,小説家として大成したのちの語り手の目線で物語を回想させることにより,物語にメタ的な視点を導入している。冒頭で「言葉では語り尽くせないものだ」と述べられた体験は,事実プロット上で幼い語り手たちにとって決して口にしてはならない秘密となった。だが作家は,成長した語り手がそうするように,その秘密を語らなければ小説を執筆することができない。ホラー小説のクリシェの形にして語り尽くせぬ対象を暴露することが,King にとっての創作なのである。Stephen King 作品における倫理性や文学史との連続性はすでに研究されつつあることだが,ジャンル作家としての位置づけからか,やはりいまだKing 作品が積極的に評価されているとは言いがたい。本論は,作品論の視点から,これまで言及されることのなかったKing の作家としての自己意識を指摘する。