著者
小原 安喜子
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.656-658, 2003-05-01

1993年12月,ウガンダ共和国西ナイル地区を訪れた.北はスーダン,西はコンゴに接する地域で,西ナイルウイルスの名を思い起す地名である. 訪問のきっかけは韓国の医大の先生からのお便りだった.前年のクリスマス・カードに国立療養所を辞し,生活の軸足を国際ヴォランティアに移したと書いたことへの思いがけない反応で,その先生方の国際協力フィールドがウガンダにあり,女性ワーカーが助産婦として常駐しているので,協力の意志があれば,という内容である.私が韓国のハンセン病医療に関わり始めたのは1969年だった.以来,韓国の医療界の方々と続いた交流からの呼びかけである.一度フィールドをお訪ね致しますとお応えした.その帰途ケニヤに足を延ばそう,ふとそう思う.というのは,韓国のフィールドに仲間入りした1972年から7年程一緒だった医師夫妻が,帰米して子供達の教育を終え,60歳代に入る頃からケニヤのフィールドに行かれたと聞いていたからである.
著者
小原 安喜子
出版者
Japanese Leprosy Association
雑誌
日本ハンセン病学会雑誌 = Japanese journal of leprosy (ISSN:13423681)
巻号頁・発行日
vol.67, no.2, pp.345-351, 1998-07-31
参考文献数
4
被引用文献数
1

ハンセン病(以下ハ病と略す)医療は既に指摘があったとおり大きく変動している。今、医療史の検証にたえる化学療法を形成することは、ハ病医療に携わる者への時代的課題といえよう。国の内外に蓄積されている基礎研究の成果、臨床経験を結集してこの課題を担い、国際化の進む日本でグローバルなハ病コントロール完了に向けて責任を果すことに努める学会であることを願う。<BR> ハイチ共和国中部は、最初からMDT-WHOにより治療が行なわれた。又、WHOが提案した教育入院を実施した数少ない地域の一つである。コントロール開始から15年になるこの地のハ病に関わって6年、ここで経験したことを化療を軸にふり返ると共に流行パターンについての考察を試みる。