著者
小島 久和
出版者
明治大学文芸研究会
雑誌
文芸研究 (ISSN:03895882)
巻号頁・発行日
no.72, pp.p1-10, 1994-09

エンブレム作品の基本構造は、このジャンルの創始者とみなされているAndré AlciatがLiber Emblematumを1531年にアウグスブルグで出版した時以来、銘句・寓意図・韻文(説明文)の形をとっていて、この3つの要素が1ページに重層的に配置されていた。これらの要素の役割は、銘句で個人的信条や道徳倫理観を簡潔に表明し、寓意図がこの抽象観念を神話の神々、動植物、人間、道具類などの形象の下に隠し、韻文が上記要素の結び付きの理由を説明して、寓意図の「読み方」を解明するというものである。
著者
小島 久和
出版者
明治大学人文科学研究所
雑誌
明治大学人文科学研究所紀要 (ISSN:05433894)
巻号頁・発行日
vol.51, pp.75-90, 2002-03

この小論で取り扱うのはHelisenne de Crenneが1539年に発表した書簡体文学作品『私信ならびに反駁書簡』Les epistres familieres et invectives(略して『書簡集』と記す)である。この作品の作者は本名をMarguerite de Brietといい、1500年頃ピカルディー地方のAbbevilleに生まれ、Crenneの領主Philippe Fournelと結婚して息子Pierreを儲け、1552年頃に亡くなった女性である。彼女の生涯についてほとんど記録が残されていないことから、かつてはさまざまな憶測がなされて、例えば作品に散りばめられた古代ギリシア・ラテン文学からの引用や、ラテン語に基づく造語の多さゆえに、エリゼンヌ・ドゥ・クレンヌをプレイヤード派の師Jean Doratと同一視したり、さらにはFrancois Rabelaisの『第二の書 パンタグリュエル物語』に登場する変体ラテン語を操る「リムーザン学生」その人ではないかと考えられたほどである。