著者
小川 将也
出版者
日本音楽学会
雑誌
音楽学 (ISSN:00302597)
巻号頁・発行日
vol.65, no.2, pp.106-121, 2020 (Released:2021-03-15)

本稿は、グィド・アドラーの著作『音楽史の方法』(1919年、以下『方法』)を主たる対象に、彼の音楽学体系内にその座を与えられる「音楽美学」とは〈心理学的美学〉であることを示すとともに、音楽様式の「内容分析(Inhaltsanalyse)」と〈心理学的美学〉との接点を、特にオーストリア哲学の文脈から読み取る試みである。 従来のアドラー研究は、彼の美学批判に繰り返し注目してきた。たしかに、論文「音楽学の範囲、方法、目的」(1885年、以下「体系論文」)や『方法』内には、美学理論が思弁的であり厳密な根拠に欠ける点を批判する記述がある。しかし、両著作中に掲載された音楽学体系図には、音楽学の体系的部門の一分野として「音楽美学」が記されていることも事実であり、アドラーの美学に対する消極的姿勢を強調するのは一面的であるように思われる。本稿では、これまで個別に論じられてきた、美学、心理学そしてオーストリア哲学に対するアドラーの見解を引用テクストと照合しながら総合的に検討し、「内容分析」をこれらの結節点として捉える。 はじめに、アドラーによる美学批判を確認したのち、彼が体系内に認める「音楽美学」とは〈心理学的美学〉を指していることを明らかにする(第1節)。続いて、「内容分析」に関連して、クレッチュマーの音楽解釈学、ディルタイの解釈学、そしてリップスの感情移入理論に対するアドラーの見解を分析する(第2節)。最後に「内容分析」と〈心理学的美学〉との接点を、ブレンターノ学派に属するクライビヒの論文「芸術創造の心理学への寄与」(1909)を手掛かりに考察する(第3節)。以上の考察を通じて、アドラー思想と心理学説との布置連関の一端が明らかになるとともに、歴史的心理学と記述的心理学との潜在的対立が彼のテクスト内に見出される。
著者
小川 将也
出版者
日本音楽学会
雑誌
音楽学 (ISSN:00302597)
巻号頁・発行日
vol.68, no.1, pp.1-16, 2022-10-15 (Released:2023-10-15)

初期のドイツ語圏音楽学は対象の考察と専門用語体系の作成という二つの課題に同時に直面していた。当時の音楽学者たちにとってこれらの課題に応える意義ある方法のひとつは、隣接諸学の様々な知見を自らの知的領域に取り入れ、ひとつの科学ディシプリンとして特殊な専門知を作り上げることであった。リヒャルト・ヴァラシェクの『音芸術の始め』(1903年)はこうした音楽研究の〈科学化〉の一例である。本稿は、ヴィーン比較音楽学の最初期の試みとされるものの、現在ではほとんど読まれることのないこの著作を改めて取り上げ、主要論点の再構成、同時代受容の追跡、そして、同時代ヴィーンの音楽進化論との比較を通じた音楽学言説の型の解明を試みる。 音楽の「起源」と「進歩」とを慎重に区別して扱い、また、C. ダーウィンやH. スペンサーらの主張を吟味するヴァラシェクの見解は、C. シュトゥンプとR. ラッハによって「リズム」起源論として単純化され、その意義を失ってしまった。ヴァラシェクと特にラッハとの間でのこの対立には、信頼に足る音楽学知とは何かというディシプリン意識の相違が表れている。すなわち、ヴァラシェクが音楽の内的起源としての「タクト」と外的起源としての「遊戯」を主張することで常に人間の行為としての音楽という視角から音楽研究の科学化を進めているのに対して、ラッハは「原初の叫び」を音楽の起源に据えることで響きとしての音楽観を強調する。さらにこの相違は、彼らが専門知としての進化論を援用する仕方とも相関している。ラッハによる〈抑圧的〉な援用は、常にE. ヘッケルの反復説を暗示することで音楽史と進化生物学との間の概念的相違を歪めている。対して、ヴァラシェクは〈保守的〉に進化生物学の知識に忠実であることで人間科学としての音楽学を構想しており、この構想は当時の自然科学指向テクストの裏面にある音楽学言説の複数性を浮き彫りにする。
著者
小川 将也
出版者
美学会
雑誌
美学 (ISSN:05200962)
巻号頁・発行日
vol.70, no.1, pp.85-96, 2019 (Released:2021-05-08)

This paper attempts to clarify the relationship between the theory of style of G. Adler and that of Art History (Kunstwissenschaft) by scrutinizing what Adler adopted and rejected from Art History in his Der Stil in der Musik (1911) and Methode der Musikgeschichte (1919). Through this study, it is revealed that his thought is deeply rooted in Hanslick’s formalism. This paper will reach following results: Firstly, as a musicologist, Adler rejects W. Worringer’s hypothesis that the origin of art is the ornamental style and cites E. Hanslick’s well-known formalistic thesis to support his rejection. Secondly, on the other hand, he adopts ideas of the construction style (Konstruktionsstil) by A. Göller and the geometric style (geometrischer Stil) by A. Riegl into his theory of musical style as a necessary condition of art of tone (Tonkunst), calling the counterpart to them the arithmetic style (arithmetischer Stil). Thirdly, while the arithmetic style has genealogically the close connection with the term of the mathematical form (mathematische Form) used by Kant, Adler aims to save music from its lowest rank around fine arts in terms of the cultural value proposed in Critique of Judgment, by referencing Hanslick’s autonomous formalism.