著者
山口 達男
出版者
一般社団法人 社会情報学会
雑誌
社会情報学 (ISSN:21872775)
巻号頁・発行日
vol.7, no.2, pp.17-32, 2019-03-31 (Released:2019-05-01)
参考文献数
25

本稿は,現代社会において危惧されている「監視社会化」の進展によって,どのような〈主体〉としてわれわれが形成されているかを明らかにする試みである。その際,Foucaultが監視を,「権力(生権力)」がわれわれを「主体化=従属化」するための戦略・技術として措定したことを分析の手がかりとして用いた。その上でまず,現在の監視は「一望監視」から「データ監視」,そして誰もが監視し,監視される〈衆人監視〉へと移行していることを指摘した。そして,その移行に伴い,われわれの〈主体〉もまた変容していることを述べた。つまり,〈規律訓練型主体〉から“リスク予防型主体”,さらには〈自己配慮型主体〉への変容である。すなわち,〈衆人監視〉という現在の監視状況において,われわれは〈自己配慮型主体〉として形成されているのである。ここでいう「自己配慮」とは,ビッグデータから自生した「規準」に沿って,自らの〈人物像〉を「制御」することを意味している。しかもそれは,Foucault謂うところの「自己への配慮」とは異なり,データ的な“自己”との関係において営まれるものである。この営為が,「誰でもない誰か」との〈衆人監視〉から要請されている点は,現代社会特有の問題と言い得る。したがって,こうした視点から現在の監視社会化を考察しなければならない。
著者
山口 達男
出版者
一般社団法人 社会情報学会
雑誌
社会情報学 (ISSN:21872775)
巻号頁・発行日
vol.9, no.2, pp.55-70, 2021-02-28 (Released:2021-03-16)
参考文献数
24

本稿は,Z. BaumanがSNSやインターネットへのアップロードを「告白」として捉え,それらが日常的に行なわれている現代社会を「告白社会」と評したことに対して,批判的に検討する試みである。その際にまずM. Foucaultの議論を参照し,4~5世紀の修道院で行なわれていた「エグザコレウシス」や,中世以降のキリスト教における「告解」の特徴を整理することで,キリスト教的告白には「権力関係」「言表行為」「文脈依存」「秘密主義」という四つの特徴があることを明らかにした。次に,非キリスト教的な在り方を探るため,日本近代文学で描かれてきた告白についても言及した。そこでもやはり「権力関係」「言表行為」という特徴を見出すことができた。他方,インターネットをコミュニケーションの技術的な基盤としている現代社会にとって,こうした特徴はすべて無効化されてしまう。「ネットワーク」の特性として「平面化」「データ化」「脱文脈化」「透明化」を挙げることができるからだ。つまり,ネットワークの特性は告白の特徴を無化してしまうのである。したがって,ネットワーク社会の現代では,SNSやインターネット上で告白するのは不可能な営みと指摘できる。むしろ,ネットワークの特性から窺えるのは,われわれのあらゆる情報がインターネット上に〈露出〉していってしまう状況である。すなわち,われわれはインターネットに向けて何かを告白しているのではなく,ネットワークの「運動」によってわれわれの営みが露出させられているのだ。このことを踏まえると,Baumanが評したのとは異なり,現代社会は「告白社会」ではなく〈露出化社会〉と称すべきだと言い得る。
著者
山口 達男
出版者
一般社団法人 社会情報学会
雑誌
社会情報学 (ISSN:21872775)
巻号頁・発行日
vol.9, no.2, pp.55-70, 2021

<p>本稿は,Z. BaumanがSNSやインターネットへのアップロードを「告白」として捉え,それらが日常的に行なわれている現代社会を「告白社会」と評したことに対して,批判的に検討する試みである。その際にまずM. Foucaultの議論を参照し,4~5世紀の修道院で行なわれていた「エグザコレウシス」や,中世以降のキリスト教における「告解」の特徴を整理することで,キリスト教的告白には「権力関係」「言表行為」「文脈依存」「秘密主義」という四つの特徴があることを明らかにした。次に,非キリスト教的な在り方を探るため,日本近代文学で描かれてきた告白についても言及した。そこでもやはり「権力関係」「言表行為」という特徴を見出すことができた。</p><p>他方,インターネットをコミュニケーションの技術的な基盤としている現代社会にとって,こうした特徴はすべて無効化されてしまう。「ネットワーク」の特性として「平面化」「データ化」「脱文脈化」「透明化」を挙げることができるからだ。つまり,ネットワークの特性は告白の特徴を無化してしまうのである。したがって,ネットワーク社会の現代では,SNSやインターネット上で告白するのは不可能な営みと指摘できる。むしろ,ネットワークの特性から窺えるのは,われわれのあらゆる情報がインターネット上に〈露出〉していってしまう状況である。すなわち,われわれはインターネットに向けて何かを告白しているのではなく,ネットワークの「運動」によってわれわれの営みが露出させられているのだ。このことを踏まえると,Baumanが評したのとは異なり,現代社会は「告白社会」ではなく〈露出化社会〉と称すべきだと言い得る。</p>