著者
北村 嘉恵 樋浦 郷子 山本 和行
出版者
北海道大学大学院教育学研究院
雑誌
北海道大学大学院教育学研究院紀要 (ISSN:18821669)
巻号頁・発行日
no.126, pp.298-190, 2016

本稿は、中華民国台南県の市立新化国民小学および国立新化高級工業職業学校が所蔵する植民地関係史料の中から学校沿革誌を翻刻し、台湾地域史および帝国日本教育史の基礎史料として集積と共有化をはかるものである。近年台湾では学校史料への関心が高まりを見せ、学校所蔵史料の調査・整理とともに、これらを利用した学校史研究が一定の蓄積をみつつある。日本でも、アーカイブズ学的な関心から、各都道府県に現存する史料の俯瞰的な調査が進みつつある。ただし、悉皆的な調査や比較検討の重要性が指摘されながらも、個別の学校や自治体に視野が限定されがちな傾向は否みがたい。こうした状況をふまえ筆者らは、帝国日本の全域に視野を開きつつ教育史資料の所在調査・整理を段階的・体系的に進めるとともに、地域社会に視点を据えて東アジアの植民地化・脱植民地化の道筋を解明していくことをめざしている。本稿は、その初段階における報告である。This volume is reprinting of historical school documents selected from historical archives of two schools, Municipal Hsinhua elementary school and National Hsinhua industrial vocational school,both located in the present-day in Hsinhua district, Tainan city, Taiwan. In Taiwan, interests in school official documents are rising in recent years. With investigation and arrangement of these documents, studies are being deepened to some extent. In Japan, too, comprehensive investigation on historical documents in each prefecture is being developed fromarchivist standpoints. We hope that publishing these documents will contribute to allowing the histories of Taiwan and the Japanese Empire to be studied in conjunction with the historic and bird-eye view of oneanother. We are currently surveying documents from throughout the Japanese Empire related to the educational history, with the goal of elucidating the processes of colonization and decolonization in East Asia in ways that are rooted in local communities. This volume is the preliminary publication of our larger project. As said above, both schools in this volume were now located in Hsinhua district, Tainan. Hsinhua is in about fifteen kilometers to the northeast from Tainan city area. By seventeenth century, there was a village of indigenous Siraya people, and Tavokan-sha (the community of Siraya people) had also been formed in the present-day Hsinhua district. With increase of Han Chinese immigrants later on, Siraya people was obliged to leave there and emigrate to the foot of mountains. These school archives enable us to understand the multilateral meanings of the elementary and post-elementary education for Hsinhua area.
著者
北村 嘉恵 山本 和行 樋浦 郷子
出版者
北海道大学
雑誌
挑戦的萌芽研究
巻号頁・発行日
2016-04-01

本年度は、「研究実施計画」に即して、以下のとおり進めた。1.台湾南部(台南、嘉義)において、国民小学や個人・団体の所蔵する文書・写真・奉安庫等の調査を進めるとともに、関係者に聞き取り調査を行った(8月、3月)。所蔵者の逝去により一時中断していた元教員旧蔵資料群については、遺族の了解を得て作業を再開することができ、出版物(書籍)を除く全資料のデジタル撮影を終えることができた。現在その悉皆的な目録の作成を進行中である。これまでの調査の成果と課題を共有するため、国立台湾歴史博物館研究組組長と協議を行い、同館における調査・整理の方針について情報を得るとともに、今後の協力方法についても検討した。2.韓国・国家記録院のデータベース等により学校資料の残存状況および内容を把握したうえで、韓国南部の数カ所(昌原、釜山)に調査地を絞りこみ、初等学校や韓国長老教会の所蔵する文書・写真等の閲覧および関係者への聞き取り調査を行った(8月)。実地調査において学校沿革誌の原本を確認することはできなかったが、とくに、学校創立以来の通時的な集合写真や学籍簿、普通学校生徒の帳面のほか、教会の牧師・長老会議の記録である「堂会録」(1900年代初頭~1960年代末)などの所蔵を確認し閲覧できた点で大きな進展が見られた。このうち許可の得られた資料についてはデジタルカメラにて撮影を行うとともに、仮目録を作成した。3.主要資料のうち公刊許可の得られた学校沿革誌については、全文の翻刻を行い、解題を付して紙媒体および電子媒体で順次公刊し、幅広い共有化をはかるとともに調査地への成果還元につとめている。また、調査・分析より得られた知見は教育史学会等にて個別研究として発表し、論文として公刊を進めている。
著者
山本 和行
出版者
教育史学会
雑誌
日本の教育史学 (ISSN:03868982)
巻号頁・発行日
vol.59, pp.097-109, 2016 (Released:2017-04-03)
参考文献数
17

This paper reveals the 1905-1930 transformation of Shizangan (Zhishanyan in Chinese) into a Shrine. Previous research focused on the Shizangan Incident in colonial Taiwan, does not address how the Shizangan Incident developed into the Shizangan Spirit. Through the examination of official documents of the Governor-General of Taiwan, newspapers, and education magazines, this paper reveals how the Shizangan Spirit developed out of the annual commemorative ceremony.This paper makes two arguments. First, the memorialization of the “Bo kyoikuka” (Deceased Educators) honored in the annual Shizangan Ceremony included an implicit, undeniable differentiation between Mainland Japanese and Taiwanese islanders. Second, the construction of a Shrine-like facility provided spiritual support for educators in Taiwan.Generally speaking, the development of a place called “Shizangan Shrine” served a particular function in education in colonial Taiwan. The educational role that this place fulfilled is a theme for future consideration.
著者
山本 和行
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.76, no.1, pp.13-22, 2009-03-31

本稿は大日本教育会編『全国教育者大集会報告』第1・2巻(1890年)に基づき、1890年5月に全国の教員・教育関係者を集めて開催された全国教育者大集会の議論を分析し、議論に現れていた「国家教育」論の内容を明らかにしようとするものである。大集会での議論は、日本の近代学校教育制度形成の画期である1890年10月の第二次小学校令・教育勅語発布の直前に行われたものとして、重要な意味を持つ。その内容を分析すると、大集会に現れた「国家教育」論は教育理念や教育内容・方法に関する問題というよりも、市制町村制施行を強く意識し、教育費負担の問題を中心とした教育の管理運営に関する問題として議論されていた。しかも、そこでイメージされていた国家と教育との関係は多様なものであった。そのうえで、そうした議論のありようが「国家教育」を標榜する国家教育社の結成にあたって、どのように作用し、吸収されていくのかを明らかにした。