著者
山村 奨
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 = NIHON KENKYŪ (ISSN:24343110)
巻号頁・発行日
vol.62, pp.111-130, 2021-03-31

近代日本において「人格」という言葉にどのような意味が与えられたのかという点と、その影響について論じる。まず1912 年に出版された『英独仏和字彙』において、Personificationという言葉に「人格化」という訳語があてられたことに対して、この言葉にどのような意味が想定されていたのかを考察する。その際、特に『英独仏和字彙』の編者である井上哲次郎と中島力造の主張を参照する。「人格化」は一般的に、「擬人化」と同様の意味で用いられている。しかし、中島の考える人格は、人間に元来ある「人格になる萌芽」、種のようなものであり、育てていくべきものである。さらに中島は、人格を自ら変化させ、よりよい状態にしていくことを主張する。中島にとって人格は道徳的な意味を含んでおり、向上させていくものである。それは井上にとっても同様であり、この点から、井上と中島らがあてた「人格化」の訳語には、よりよい状態への変化の意味があると考えられる。 中島は人格の向上のために修養を求めたが、続いて、近代日本における修養の考え方について、陽明学との関連で考察した。明治期には時代的な影響から、陽明学による精神修養を国家主義に援用する向きもあり、本論文では吉本襄や東敬治を紹介した。それに対して亘理章三郎は、陽明学によって「人格修養上の教訓」を得ようとしている点が、特徴的である。亘理には、中島や井上が人格に道徳的な意味を持たせて、その向上を求めた人格観と共通の要素がある。 最後に、安岡正篤の陽明学観を取り上げた。安岡は『王陽明研究』の中で「人格」を重視する姿勢を見せる。それを井上哲次郎の影響とする研究もあるが、本論文では安岡が特に参考文献として書名を挙げている高瀬武次郎や亘理章三郎の影響について言及した。安岡は近代日本の学術をまっとうに吸収し、陽明学が内面の修養に援用できることを主張していた。
著者
山村 奨
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 = NIHON KENKYŪ
巻号頁・発行日
vol.56, pp.55-93, 2017-10-20

本論文は、日本の明治期に陽明学を研究した人物が、同時代や大塩の乱のことを視野に入れつつ、陽明学を変容させたことを明らかにする。そのために、井上哲次郎と教え子の高瀬武次郎の陽明学理解を考察する。