著者
柳澤 清一 岡本 東三 藤田 尚 百原 新 田邊 由美子
出版者
千葉大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2010-04-01

当該研究は、オホーツク文化・擦文文化・トビニタイ文化の終末期をめぐる通説的な編年体系を見直し、それに代わる新編年体系の妥当性について広域的に証明することを目標としている。2010~2013年にかけて、道北と道東をフィールドとして発掘調査と資料調査を計画通りに実施した。その成果をもとに多くの論文を発表し、またそれらを著書としてまとめ、新編年体系の妥当性を明らかにする大きな成果を挙げた。研究の成果は次のとおりである。(1) 学術雑誌論文(2010~2014:19)(2) 著書(1):六一書房、2011、(3) 発掘調査概報(2010~2014:7)。
著者
岡本 東三
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書 (ISSN:18817165)
巻号頁・発行日
vol.276, pp.1-36, 2014-02-28

千葉大学大学院人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書 第276集 『型式論の実践的研究II』柳澤 清一 編"Pratical Study of Typology II", Chiba University Graduate School of Humanities and Social Sciences Research Project Reports No.276人生には、決して渡っては為らぬ川もあれば、時には渡らなければ為らない川もある。学問とて同じである。しかし、渡ることのできない川はないのだ。西部押型紋文化圏と東部押型紋文化圏との間には、大きな川が横たわっている。しかし、川向こうも同じ縄紋人の社会だ。同じ彫刻棒を原体にもった押型紋土器の世界が展開している。土器作りの作法は、カタチの流儀、文様の流儀、胎土の流儀の三つの要素から成り立っている。認定できる型式は、この三要素によって規定されるといっても過言ではない。西部押型紋文化圏も東部押型紋文化圏も、押型紋土器は平縁・尖底が基本であり、施紋法も共通する。土地柄が現れるのは、彫刻原体や器形の好みと地元の粘土や混ぜ物の違いである。当然、人びとは行き交い、文物も交流する。事実、東部押型紋文化圏の前半期には、西部ネガティヴ押型紋に関連する立野式も存在する。西部押型紋文化圏の後半期には、押型紋文化を表象するトロトロ石器が九州島にまで広く分布し、九州島の平栫式も出現する。また、押型紋土器終焉後には、早期の条痕紋土器・関東地方の鵜ヶ島台式もみられる。東日本同様、西日本にも条痕紋土器の世界が広がっていく。川向こうの土器は常に客体的であるが、西部押型紋文化圏だけが孤高を保っていた訳ではない。いずれの時期も同じように、開かれた縄紋社会が展開しているのである。これが縄紋社会の秩序というものであろう。前にも述べたことがあるが、「ルビンの壺」という有名な図形がある[第1図1]。白抜きの部分をみれば、優勝カップのように見え、黒抜きをみれば向き合った2人の顔が見えてくる。「図」と