著者
岡村 幸子
出版者
史学研究会 (京都大学文学部内)
雑誌
史林 = THE SHIRIN or the JOURNAL OF HISTORY (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.84, no.4, pp.537-570, 2001-07-01

個人情報保護のため削除部分あり本論では、平安時代における天皇の御物を取りあげ、その保管と伝領を切り口として、平安期における皇統のありかた、及びそれに対する認識について考察した。その結果、まず、天皇御物の管理体制の転換期が宇多・醍醐朝に認められた。この時期天皇御物は清涼殿と宜陽殿納殿に整理し直され、その管理も女司から蔵人の手に移っていった。そして、後に「累代御物」として定着する、皇位継承に伴って新帝に伝領される御物のいくつかが光孝・宇多に由来をもつものなのである。その背景には、御物に対する天皇の認識が関わっている。すなわち、文徳~陽成から光孝への皇統の転換にあたり、光孝・宇多・醍醐らは、その正当性と権威を託す対象として天皇御物をとらえ、それを累代御物として伝領していくことで、自らの皇統に、鶴の皇統とは異なる権威を与えようとしたのである。本流と傍流を区別する思想が明らかに見られるのが、十一世紀初めの一条朝における両統迭立期である。そしてそこには、中国王朝の交替になぞらえた「反正」という概念が持ち込まれていた。即ち、たとえば王葬によって途絶えた前漢を再び興した後漢の光武帝が「反正」の君であったように、光孝や一条が「反正」の君であったとみなされていたのである。そして、光孝以降に創られた累代御物と同様、円融系の天皇によって和琴鈴鹿が累代御物に加えちれ、その後も伝領されていく。光孝以降の累代御物と同様、それは他の皇統とは独自の正当性を有することを示すための、つまりその皇統のための累代御物として出発したものであったが、やがて全ての天皇が継承すべき累代御物として伝領されていく。そのような累代御物となった時、その皇統が「本流」であるという観念は、目に見える形として示されるのである。In the Heian period, the lmperial throne was succeeded not only by the son, but by the Emperor's brother or his cousin, so the lineage of the lmperial throne was complicated. The purpose of this study is to investigate how the emperor evaluated his own lineage, and how the complicated lineage was systematized. And in order to investigate these themes, the author considers how the hereditary treasures of emperors were transfered, because these treasures generally bestowed the authority of the throne. The author shows that the system of preservation and management of the treasures changed in the period of the Emperor Uda (宇多) and Daigo (醍醐), because they recognized the value of the treasures as the symbols of the authority. The lineage changed when the Emperor Yozei (陽成) abdicated the throne to the Emperor Koko (光孝), father of Uda, so they needed a different authority from that of the former lineage. The two lineages were symbolically unified by offering the Dai-Shoji (大床子), which was one of the hereditary treasures of the emperor, from Yozei to the Emperor Suzaku (朱雀), the son of Daigo. In consequence, the lineage beginning from Koko was regarded as the main, and the other as a branch. The same situation reoccurred early in the 11th century. This time, the scholars regarded the Enyu (円融) lineage as the main, and the Reizei (冷泉) lineage as a branch. After that, the treasure named Suzuka (鈴鹿), which the emperors in the Enyu lineage had owned, was added to the hereditary treasures of the emperor.