著者
岡沢 亮
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.72, no.4, pp.540-556, 2022 (Released:2023-03-31)
参考文献数
31

本稿の目的は,テクストデータを用いるエスノメソドロジーの方針と取り組むべき課題をめぐる方法論的議論を進展させることである.まずテクストのエスノメソドロジーの基本方針が,テクストを社会現象の表象として扱うのではなく,テクストにおいていかなる活動がいかなる概念連関に依拠して行われているのかを分析することだと述べる.次に,テクストを分析する際の資源としての受け手の反応(の不在)をめぐり会話分析から寄せられた批判に応答し,テクストの分析可能性を擁護する.その上で,Goffman の参与枠組のアイデアとそれに対する会話分析の批判的検討を参照し,書き手と読み手がテクストをめぐる参与枠組を形成する方法を解明することが興味深い課題になると論じる.またその課題に取り組むにあたり,テクストを書く/読む実践の制約かつ資源となるインターフェイスへの着目の重要性を主張する.以上を踏まえ,ウェブ上の映画作品レビューとそれに付されたコメントの具体的分析を行うことにより,テクストの参与枠組を形成する方法の分析が当のテクストの活動としての理解可能性の解明に資すること,そしてその分析においてテクストを書く/読む際のインターフェイスへの着目が有効であることを例証する.最後に,本稿の議論がエスノメソドロジーと会話分析の関係の再考や,テクストデータを用いる社会学一般をめぐる方法論的議論に寄与することを示唆する.
著者
岡沢 亮
出版者
日本社会学理論学会
雑誌
現代社会学理論研究 (ISSN:18817467)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.29-41, 2017 (Released:2020-03-09)
被引用文献数
1

日本における図画のわいせつ性をめぐる裁判に関しては、その恣意性が批判されてきた。ただし、それらの批判は、わいせつ裁判が必然的・蓋然的に恣意的になることを主張するものであり、個別具体的な判決のどの部分がいかなる意味で恣意的なのかを分析・考察する方向性は開かれていなかった。そこで本稿は、図画のわいせつ性をめぐる裁判に関して、その恣意性を考察するための準拠点を析出する分析方針を提示することを目指す。 まず、裁判の恣意性を指摘する既存研究を批判的に検討する。第1に、図画をわいせつである/ないと見ることは必然的に恣意的だとする立場が、法的判断の恣意性の分析を目指すためには有益でないと論じる。第2に、法的判断が恣意的か否かという問題は、裁判官が判決を形成した際の動機を推測することによってではなく、判決の正当化の論理を分析することによって検討されるべきだと論じる。 そのうえで、法的判断の正当化の理解可能性を支える概念の論理文法を分析するという方針を提示する。同方針のもとで、具体的事例として愛のコリーダ事件一審判決を分析し、解明された概念の論理文法を参照するかたちで、当の法的判断の恣意性を考察する。結論として、図画のわいせつ性をめぐる法的判断の正当化の理解可能性を支える概念の論理文法を分析することが、その法的判断の恣意性の考察にとって有益であると主張する。