著者
川上 比奈子
出版者
一般社団法人 日本デザイン学会
雑誌
デザイン学研究 (ISSN:09108173)
巻号頁・発行日
vol.63, no.6, pp.6_57-6_64, 2017-03-31 (Released:2017-05-10)
参考文献数
29

漆芸家、菅原精造はアイリーン・グレイに日本漆芸を教え、共同し、彼女の作品に影響を与えた。本稿の目的は、日本とフランスの菅原の遺族に取材し、関連文献・史料を調査してグレイが学んだ菅原の漆芸習得の背景を明らかにすることである。結果、次の事実が明らかになった。1)菅原の漆芸技術の習得は、圓山卯吉が創設し運営した山形県酒田市の教育機関兼事業所「カワセ屋」での修行に始まる。 2)「カワセ屋」が木工・家具製作に重点をおいていたことから、菅原は木工・家具製作の技術も習得していた。 3)菅原に漆芸を教えた師匠の一人は漆器職人、森川奇秀である。 4)菅原は、1901(明治34)年9月に東京美術学校漆工科に入学し、1905(明治38)年11月に渡仏した。同校に4年以上在学したが、卒業はしていない。 5)東京美術学校漆工科における主な教員は、彫刻家・高村光雲、漆芸家・川之辺一朝、漆芸家・辻村松華である。6)東京美術学校で菅原が学んだ内容に高村から学んだ彫刻の要素が含まれている。7)菅原は自身を漆芸家としてだけでなく彫刻家と自任していた。以上から、グレイは漆塗りの技術だけでなく、家具の製作や彫刻など立体造形の技術も菅原から学んだと考えられる。
著者
川上 比奈子
出版者
日本デザイン学会
雑誌
デザイン学研究 (ISSN:09108173)
巻号頁・発行日
vol.50, no.6, pp.67-76, 2004-03-31

アイリーン・グレイは、菅原精造から日本漆芸を学び、漆塗り屏風を制作した。建築家に移行した後、住宅「E.1027」において、ジグザグに折れ曲がる窓をデザインし「屏風窓」と名付けた。本稿では、グレイが屏風を建築に展開する契機を探る。彼女の最初の屏風は、伝統的な形式を踏襲した絵画的調度品であったが、やがて漆塗りと屏風の特質によって、立体が浮かび上がって見える幾何学線形の描かれたものが制作される。同時期、屏風に描かれるべき図柄を、多数の小型漆パネルに分解して再構成した屏風が生みだされた。映りこんで見えていただけの立体が、実体として表現されると共に、分解・回転によってできた空隙が屏風の構成要素に加わり、視線も風も遮らないものとなる。空隙は、屏風の既成概念を取り払う切掛けとなり、グレイは、屏風を窓や壁のデザインに展開し、また、新素材の美しさを活用し、住空間に多様性を与えることになった。グレイの屏風は、空間の光や空気を調節するとともに、空間の機能と形も変える変換装置といえる。