- 著者
-
川越 栄子
- 出版者
- 神戸市看護大学
- 雑誌
- 神戸市看護大学紀要 (ISSN:13429027)
- 巻号頁・発行日
- vol.7, pp.1-10, 2003-03-31
日米の新聞が臓器移植についてどのように報じているかを概観した。日本初(1999年)の報道について,日本の新聞は,患者の病状,脳死判定の手順,ドナーカードの事,心臓は大阪大,肝臓は信州大,などと事実を細かく報道していた。一方,アメリカのメデイアは,臓器移植の事実は最小限に抑えられ,視点は,日本が画期的に新しい時代に突入したことにおかれていた。繰り返し使用されているキーワードとしてmilestone, debate, taboo, mistrustなどがあった。その後1年を経過した2000年の臓器移植報道は,日本ではその後の「脳死移植例」が5例目から10例目まで順に報道され,43%であった。「脳死移植後の経過を報じたもの」,「脳死以外の移植を扱った記事」も含めて移植例が圧倒的に多く,57%を占めていた。その他「小児の脳死移植」「臓器移植を充実させるための方策」などがあり,日本では脳死臓器移植の黎明期である事を証明していた。一方アメリカでは「政策」に関する記事が25%を占め,「著名人の臓器移植」,「特殊例」,「研究例」,「臓器不足」と続いた。アメリカでは移植医療は日常的に行われており,2000年の1年間で実に22,854件の移植が行われており脳死を前提とする肝・心臓移植の件数はそれぞれ約4,934, 2,197である。毎日肝臓14件,心臓6件という割合で全米のいたる所で移植が行われており,単なる移植手術そのものにはニュース性はないといえる。日本初の脳死臓器移植においてもその後の臓器移植報道においても日米の報道では大きな相違点があった。それは日本が脳死臓器移植の黎明期にあるのに対して,アメリカでは定着期に入りその結果臓器不足という問題を生んでいることに集約される。この相違点の背景には日米での死生観,宗教観,文化,医療倫理,政治,経済等多岐にわたる違いがある。臓器移植の問題は人間の「死」に触れる問題で,多くの分野からの研究が必要であるが,今回新聞記事の分析を試みたことで,日米における現在の臓器移植の表層部分を概観し,マスコミの報道姿勢の相違点を明らかにできた。