著者
松葉 祥一
出版者
神戸市看護大学
雑誌
神戸市看護大学紀要 (ISSN:13429027)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.1-9, 2005-03

フランスの心理学者トビ・ナタンが提唱する民族精神医学(ethnopsyhiatrie)とは何かを明らかにし,日本への適用の可能性を考察する。移住者は言語や生活習慣の違いなどからストレス状況におかれることが多く,心の病いを訴えることが多い。しかし,言語,および精神疾患の原因とその治療に対する考え方の違いのせいで,治療は困難なものになりがちである。そこで,トビ・ナタンは,移民の精神疾患を,患者の出身文化の枠組みの中でとらえること,西欧医学とは異なる治療法も導入することが必要だと主張し,30年以上にわたって実践している。本稿では,まず第1にこのトビ・ナタンの民族精神医学が生まれた社会的状況を明らかにし,第2にその理論的背景を分析する。第3にナタンの実践を概観し,第4に主著の一つである『他者の狂気』に従ってその理論的枠組みを検討する。その上で,この民族精神医学に対する批判を考察し,その問題点を指摘する。日本では,今後移民が増加することが予想されている以上,民族精神医学を批判的に導入する必要があると結論する。
著者
川越 栄子
出版者
神戸市看護大学
雑誌
神戸市看護大学紀要 (ISSN:13429027)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.1-10, 2003-03-31

日米の新聞が臓器移植についてどのように報じているかを概観した。日本初(1999年)の報道について,日本の新聞は,患者の病状,脳死判定の手順,ドナーカードの事,心臓は大阪大,肝臓は信州大,などと事実を細かく報道していた。一方,アメリカのメデイアは,臓器移植の事実は最小限に抑えられ,視点は,日本が画期的に新しい時代に突入したことにおかれていた。繰り返し使用されているキーワードとしてmilestone, debate, taboo, mistrustなどがあった。その後1年を経過した2000年の臓器移植報道は,日本ではその後の「脳死移植例」が5例目から10例目まで順に報道され,43%であった。「脳死移植後の経過を報じたもの」,「脳死以外の移植を扱った記事」も含めて移植例が圧倒的に多く,57%を占めていた。その他「小児の脳死移植」「臓器移植を充実させるための方策」などがあり,日本では脳死臓器移植の黎明期である事を証明していた。一方アメリカでは「政策」に関する記事が25%を占め,「著名人の臓器移植」,「特殊例」,「研究例」,「臓器不足」と続いた。アメリカでは移植医療は日常的に行われており,2000年の1年間で実に22,854件の移植が行われており脳死を前提とする肝・心臓移植の件数はそれぞれ約4,934, 2,197である。毎日肝臓14件,心臓6件という割合で全米のいたる所で移植が行われており,単なる移植手術そのものにはニュース性はないといえる。日本初の脳死臓器移植においてもその後の臓器移植報道においても日米の報道では大きな相違点があった。それは日本が脳死臓器移植の黎明期にあるのに対して,アメリカでは定着期に入りその結果臓器不足という問題を生んでいることに集約される。この相違点の背景には日米での死生観,宗教観,文化,医療倫理,政治,経済等多岐にわたる違いがある。臓器移植の問題は人間の「死」に触れる問題で,多くの分野からの研究が必要であるが,今回新聞記事の分析を試みたことで,日米における現在の臓器移植の表層部分を概観し,マスコミの報道姿勢の相違点を明らかにできた。
著者
藤代 節 庄垣内 正弘 角道 正佳 岸田 文隆 菅原 睦 澤田 英夫 橋本 勝 岸田 泰浩
出版者
神戸市看護大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2002

本研究課題は、ユーラシアのアジア地域を中心に、広域にわたって生じた言語接触の研究を目指したものである。各メンバーが各々携わってきた地域にみられる言語の接触状況を把握し、当該地域における社会言語学的情報を考慮しつつ、言語地域のダイナミズムを提出することをまず第1段階とし、次に個別に研究してきた言語の関与する言語接触の様相がユーラシア各地に分布する他の地域のそれと比べてどのような類似点あるいは特異点をみせているかを考察した(第2段階)。さらに、言語接触研究において従来、提出されている諸現象及び接触前段階まででみられる諸現象がアジア地域の言語接触についても頻繁に見られるか、それら諸現象の出現を条件付ける要素は何であり、何処に起因するか、等に考察を及ぼした。その上で、言語接触のあり方を整理し、ユーラシア各地の言語地域について、各領域の言語から多角的に検討してきた。本研究課題に参加したメンバーが、研究目的にそって、研究に従事した三年間の実施期間にまとめた成果の一端をApproaches to Eurasian Linguistic Areasと題した論集にまとめ、Contribution to the Studies of Eurasian Languages seriesの第7巻として刊行した。それぞれにユーラシア言語地域に分布する言語接触の諸相を扱った論考をあつめ提出できた。なお、本研究課題の参加メンバーは、その成果をふまえ、「言語接触のその後」を探る研究と位置づけた研究課題『ユーラシアの言語接触と新言語の形成-新言語形成のメカニズム解明に向けて-』に新たに取り組む予定である。
著者
藤代 節 庄垣内 正弘
出版者
神戸市看護大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2000

本研究課題はヤクート(サハ)語の英雄叙事詩オロンホの調査研究である。2年間に集中的に英雄叙事詩およびヤクート語について帝政ロシア、旧ソ連邦、現ロシア共和国の各時代を通じて著された関連文献の調査、整理、テキスト等の基礎的データの入力作業を行った。初年度にはロシア科学アカデミー東方学研究所にて帝政ロシア時代のサハ語資料の閲覧、検索などをおこなった。また機会を得て、サハ共和国内の共和国立図書館などにおいてもオロンホ資料に関連する文献調査を行い、ヤクート語話者あるいはヤクート語周辺の言語の話者等に研究協力を依頼し、オロンホに関連しての調査研究を行った。本研究課題の成果としては研究代表者の藤代、研究分担者の庄垣内がともに各自学術論文、出版物、また研究発表等を通じて随時、発表してきた。本研究課題の実施期間を通じて、サハ(ヤクート)共和国内で出版されたヤクート語学や文学に関連する文献も多く収集することが出来た。これらは特にここ2、3年に飛躍的に入手が容易になった出版物である。本研究課題を遂行して、研究成果全体、特にオロンホのデータを蓄積じたものを刊行すべき必要性を強く感じている。これらの学術文献におけるオロンホの扱い方及び未だ数量的には大量とは言えないがオロンホテキスト資料を今後も有効に活用して、オロンホのデータ蓄積を大きくしていきたい。研究代表者等は近い将来にオロンホデータに言語学的分析を加えたものを出版することを目指している。
著者
加藤 憲司 鈴木 志津枝 船山 仲他 福嶌 教隆 田中 紀子 岡本 悠馬 川越 栄子 長沼 美香子 益 加代子 植本 雅治 嶋澤 恭子 山下 正 松葉 祥一 金川 克子
出版者
神戸市看護大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2015-04-01

昨年度に引き続き、学部生対象の単位互換講座(10~1月 全15回)およびユニティ市民公開講座(7月 全5回)を実施した。今年度はロールプレイにスペイン語および中国語のネイティブスピーカーをそれぞれ招いて演習を行ったので、過年度よりも一層の臨場感を講義の中に盛り込むことができたと考える。ただしユニティ市民公開講座については、受講者数の減少が止まらず、市民への普及・啓発としての本講座の役割は終えたと判断することとした。医療通訳を巡る国内の情勢は極めて大きな変革期を迎えているため、常に最新の情報を踏まえて方向性を探る必要があることから、関連する第20回日本渡航医学会(倉敷市 7月)、第1回国際臨床医学会(東京 12月)などの学会や、全国医療通訳者セミナー(東京 8月)などのセミナーへ積極的に参加した。さらに、地元の兵庫県においても医療通訳の制度化に関する研究会が立ち上がり、3回の会合がもたれ、本研究チームからも複数のメンバーが参加した。調査研究については、昨年度末に1300通以上の質問紙を全国の一定規模以上の医療機関に発送したが、回収率は20%以下に留まった。データを一旦分析し、本学紀要に投稿したものの、追加のデータ分析をすべく取り下げ、現在も論文原稿を執筆中である。
著者
田上 優子 笠松 隆洋
出版者
神戸市看護大学
雑誌
神戸市看護大学紀要 (ISSN:13429027)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.1-10, 2001-03-31

The multiple chemical sensitivity (MCS) is new cluster of environmental symptoms which have been described and commented on for more than 15 years now in the USA. In the meantime it has also been observed in other countries including Japan. MCS has been defined as an acquired disorder characterized by recurrent symptoms, referable to multiple organ systems, precipitated by a variety of chemical substances with relapses and exacerbation under certain conditions when exposed to very low levels which do not affect the population at large. There are no laboratory markers or specific investigate findings. In this paper, an overview of recent aspects of MCS problems in Japan is provided.
著者
蛯名 美智子 村田 恵子 鈴木 敦子 片田 範子 中野 綾美 筒井 真優美
出版者
神戸市看護大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
1997

病院での検査・処置を受ける子どもが実際、どのように説明を受けているのかについて調査した。方法は参加観察及び、その後に子どもの親・医師・看護婦へのインタビューであった。研究対象は2〜13歳の18名の子どもとその親、それに関わる医師と看護婦であった。観察とインタビューから得られたデータは逐語的に整理され、研究者のグループによって分析された。その結果、以下のような4つの結果を得た。1.子どもが検査や処置について知らされた後から検査や処置中にわたって、自分で心理的に準備をしている。私たちはこの現象を子どもの心理的準備/決心、すなわち覚悟と名付けた。子どもが覚悟をして検査・処置に向かうためには、心地よい雰囲気、過去の検査イメージ、検査・処置の間に子どもに選択肢を与えた決定する機会、状況を人々と共に共有する間隔、検査・処置を受けることによって可能になる利益の保証、そして子ども自身による覚悟の宣言が必要であった。2.子どもの能力と医療者が認識する子どもの能力との間で、以下の3つの現象が観察された。それらは子どもの能力と子どもの能力に対する医療者の判断との間のずれ、検査・処置に対する子どもの反応と医療者の対応との間のずれ、そして子どもと医療者の双方の状況の理解に関するずれであった。3.子どもの検査・処置に参加する医師、看護婦、親の間で3つの役割がとられていた。1つは、検査・処置の子どもの反応をチェックすること、2番目の役割は検査・処置について子どもに説明すること、3番目の役割は子どもの覚悟を引き出し、それを維持させることであった。4.検査・処置の後の子どもの思いは、3つのタイプに分類された。3つのタイプとは、「私は頑張った」という思い、「私は頑張ろうとしたんだけど・・」という思い、「私はずっと頑張っているのに」という思い出あった。今後の研究課題は、コレラの結果からケアモデルを構築すること、精製されたケアモデルの効果を検証することである。
著者
二宮 啓子 内 正子 山本 陽子 市之瀬 知里 勝田 仁美 岡永 真由美
出版者
神戸市看護大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2013-04-01

本研究は、特別支援学校における医療的ケアへの支援体制と看護系大学・看護協会等との協働の実態とそのニーズを明らかにすることを目的とし、教育委員会、特別支援学校の看護師・教諭・養護教諭、看護系大学、看護協会を対象に、7つの質問紙調査等を実施した。その結果、教諭が医療的ケアを実施している特別支援学校では、看護系大学や看護協会等と連携しながら、教諭の医療的ケアの研修体制や看護師への支援体制の整備が進められていたこと、特別支援学校関係者が看護系大学、看護協会に期待していた「教諭や看護師の研修」、「看護師の雇用支援」や「研修や勉強会の開催」に各々の機関が答えられる可能性があることが明らかになった。
著者
池川 清子 吾妻 知美 西村 ユミ 守田 美奈子 蓬莱 節子 仁平 雅子
出版者
神戸市看護大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2000

看護の高等教育化が急速に進展しつつある現在、看護学の学的基盤の確立が急務である。本研究では、研究代表者である池川が長年と取り組んできた「看護学の実践学的パラダイム」を基礎理論として、看護学固有の対象と方法を明確にすることをとおして、実践学としての看護学をより詳細に特徴づけ、基礎づけるものを明確にした。本研究の成果は、おおよそ以下の5点に要約される。1.看護学を実践学的パラダイムの視座から体系化するという試みは時代の要請であり、実践を目的とする看護理論の構築という観点からも、今、世界が向かおうとしている動向である。2.看護学を実践学として基礎づけるためには、科学的パラダイムとは異なる方法論の吟味が必要である。本研究では、看護の現象を看護者と看護を必要とする相手とのかかわりの中から立ち現れる出来事として捉え、従来の看護学を現象学的視点から問い直した。3.実践学としての看護学の前提を明らかにするためには、看護実践の構造の解明が不可欠である。本研究では、看護実践と言語、看護実践と行為・技術、看護実践と経験の諸点から看護実践の構造を明らかにした。4.実践学としての看護学の研究方法として、看護の現象をありのまま生き生きと捉える方法として、現象学的解釈学の有用性を明らかにした。5.これまで抽出が困難であった看護実践者の経験を現象学的記述による、方法としての「対話」を確立した。