著者
市川 周佑
出版者
公益財団法人 史学会
雑誌
史学雑誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.130, no.9, pp.1-37, 2021 (Released:2022-09-20)

本稿の目的は、「大学の運営に関する臨時措置法」の成立過程を明らかにすることである。政府は、日本全国に波及した大学紛争に対応するため、1969年に臨時措置法を制定した。 第1章では、1968年までの政府と自民党の大学紛争対応を分析した。自民党では、教育制度改革の必要性を主張する坂田道太が党の文教政策を主導した。そして、1968年11月30日、佐藤栄作総理大臣は、内閣改造を行い、坂田を文部大臣とし、保利茂建設大臣を官房長官とした。 第2章では、1969年以降の自民党の動向を検討した。東京大学での紛争の激化や、岡山大学で警官が殉職するなど、大学紛争が激化した。自民党内では、日米安全保障条約改定の観点から大学紛争を捉えるようになり、政府に強硬な対応を強く求めた。 第3章では、政府の法案作成過程を検討した。政府内では、保利官房長官と文部省が法案作成を行った。保利は沖縄返還実現のため早期の紛争沈静化が必要と認識し、文部省とともに最小限度の立法化を目指した。しかし、短期的に法案が作成されたため、法案には多くの不備があり、治安的側面が存在した。このような問題点は内閣法制局の審査によって改められた。 第4章では、国会審議過程を検討した。法案作成過程では、自民党の要求が排除され、自民党は政府案を強く非難した。そのため、学生処分を法案に挿入することで政府と自民党は一致した。しかし、野党の反対が強く十分な審議時間を確保できず、修正は断念された。そして、審議が参議院に移ると、重宗雄三参議院議長が強行採決に難色を示したが、佐藤は岸信介などに説得を依頼し、参院での強行採決を実現させた。 政府と与党間には、教育政策と外交政策をめぐり意見の相違が存在し、これが両者の対立の要因となった。このような対立により、法案は大きく姿を変えていった。また、政府内では、保利官房長官が大学紛争対策を主導した。