- 著者
-
前田 一馬
谷端 郷
中谷 友樹
板谷 直子
平岡 善浩
- 出版者
- 公益社団法人 日本地理学会
- 雑誌
- 日本地理学会発表要旨集
- 巻号頁・発行日
- vol.2015, 2015
Ⅰ.問題の所在<br>2011年3月に発生した東日本大震災から4年の歳月が経とうとしている。被災地域の復旧・復興のプロセスにおいては、まず災害に耐えうるまちづくりが課題とされ、講じられる復興策として、被災地域の建造環境の再構築が重要視されてきた。しかし、地域が培ってきた祭礼や文化活動の復興も同様に重要性を持っていることが、阪神淡路大震災の被災地域における研究で指摘されている(相澤2005)。そこでは祭礼に関わる住民の取り組みを取り結ぶ媒介として「記憶」が重要な役割をはたしてきた。 <br>本研究では、東日本大震災による被災地域である宮城県南三陸町志津川地区を対象として、震災後において変化を迫られ、消滅の危機さえある地域で行われてきた祭礼や年中行事にまつわる「記憶」を抽出した。さらに、そこで得られた情報を記録した「記憶地図」が、地域文化の継承に配慮した復興まちづくりに貢献する可能性を検討した。<br><br>Ⅱ.調査概要・研究方法 <br>対象地域において、古くから祭礼の運営や地域信仰の中心的な役割を担ってきた五つの神社(上山八幡宮・保呂羽神社・荒島神社・西宮神社・古峯神社)を取り上げ、それぞれの神社の関係者である禰宜・別当・世話人・氏子の計8名に対して聞取り調査を実施した。主な質問項目は、東日本大震災被災前の、①祭礼や年中行事の運営方法、祭礼における行列のルートの記憶、②祭礼とともにある場所・風景の「記憶」、③氏子の居住地区などコミュニティの広がり、④祭礼や神社と地域とのつながり、また、⑤震災後における祭礼の実態や神社と人々との関わりについてである。これら聞取り調査の結果得られた情報はGISを利用して地図上に記録し、祭礼にまつわる「記憶地図」を作成した。<br> また、聞取り調査における関係者の発話は音声データとして記録を行ない、それらは可能な限り文字データ化し、「記憶地図」と併せて利用した。なお、南三陸町における聞取り調査は、2014年8月26日から8月31日にかけて実施したものである。<br><br>Ⅲ.「記憶地図」が語るもの <br>志津川地区内の五つの神社は、五社会という組織を形成しており、上山八幡宮の宮司がすべての神社の宮司を兼任している。まずは、中心的な存在である上山八幡宮への聞取り調査の結果から作成した「記憶地図」(第1図)を検討した。秋の例大祭における稚児行列のルートをみると、この祭礼が子供の成長を地域社会にお披露目するという意味を持つことから、多数の氏子が居住する地区を取り囲むようなルートが、街をあげてさまざまな視点から調整されていた。例えば、志津川病院移転後には病室から稚児がみえるようにと、ルートを変更しており、地域社会の動向をふまえた柔軟性に富む運営が行われていた。また、上山八幡宮のルーツは保呂羽山と密接な関係があり、保呂羽山山頂、旧上山八幡神社の所在地と現上山八幡宮を結ぶ一直線のライン(祈りのライン)は由緒を確認する象徴的な景観上のしかけとなっている。 <br>以上のように、「記憶地図」は今まであまり可視化されることのなかった、地域で行われてきた祭礼の実態や意味づけされた場所の視覚的把握を可能とする。復興計画では、居住地の移転が計画されているが、神社へのアクセスは考慮されておらず、上山八幡宮の禰宜は、地域文化を継承する計画上の仕組みの必要性を主張している。すなわち、復興という建造環境を再構築する中で、祭礼に関わる人々の取り組みを取り結び、意味づけされた場所を新たに創り出すための装置が求められている。「記憶地図」は、これまでの祭礼で取り結ばれていた人々の想いを住民が自らの手で確認し、まちづくりの方向性を考えるための一つのツールになり得ると考えられる。<br><br>参考文献 <br>相澤亮太郎 2005. 阪神淡路大震災被災地における地蔵祭祀――場所の構築と記憶. 人文地理57-4: 62-75. <br><br> [付記] <br>本研究は、科学研究費・基盤研究C(25420659)「地域の文化遺産が被災後の復興に果たす役割に関する研究」(研究代表者:板谷直子)の助成を受けたものである。