著者
広石 英記
出版者
日本教育方法学会
雑誌
教育方法学研究 : 日本教育方法学会紀要 (ISSN:03859746)
巻号頁・発行日
vol.31, pp.1-11, 2006-03-31
被引用文献数
3

従来の学校教育の底流にある客観主義的知識観は,実在的真理(普遍的正答)を措定してその個人的獲得を学習と見立てていたといえよう。これに対して社会構成主義は「知識は人々の社会的な関係性の中で構成される」と考える。この考え方に立つと,学習とは知識を受動的に記憶する個人の内的プロセスではなく,学習者が他者との相互作用を通じて知識を構成していく社会的行為ということになる。社会構成主義の知識観を学校教育の文脈に翻訳すれば,教育内容の意味は,所与の知識として教科書の中や教師の頭の中に存在するものではなく,教師と子ども,あるいは子どもどうしのコミュニケーションによって生成されるものであり,相互主体的な実践があって初めて構成されることになる。このような社会構成主義の持つ知識観を理解することによって,われわれは,ワークショップという学びのスタイル(参加型学習)の持つ,豊かな教育的意義を理論的に検証できる地平に立つことができる。その意味で,本論文は,これまで両者の関係が意識されずに,それぞれが独自な展開を見せてきた二つの出自が異なる生産的思考(社会構成主義)と生産的手法(ワークショップ)のより豊かな結びつきを育み,新しい学びの世界を開いていくための最初の試みである。
著者
広石 英記
出版者
日本教育方法学会
雑誌
教育方法学研究 (ISSN:03859746)
巻号頁・発行日
vol.31, pp.1-11, 2006-03-31 (Released:2017-04-22)
被引用文献数
3

従来の学校教育の底流にある客観主義的知識観は,実在的真理(普遍的正答)を措定してその個人的獲得を学習と見立てていたといえよう。これに対して社会構成主義は「知識は人々の社会的な関係性の中で構成される」と考える。この考え方に立つと,学習とは知識を受動的に記憶する個人の内的プロセスではなく,学習者が他者との相互作用を通じて知識を構成していく社会的行為ということになる。社会構成主義の知識観を学校教育の文脈に翻訳すれば,教育内容の意味は,所与の知識として教科書の中や教師の頭の中に存在するものではなく,教師と子ども,あるいは子どもどうしのコミュニケーションによって生成されるものであり,相互主体的な実践があって初めて構成されることになる。このような社会構成主義の持つ知識観を理解することによって,われわれは,ワークショップという学びのスタイル(参加型学習)の持つ,豊かな教育的意義を理論的に検証できる地平に立つことができる。その意味で,本論文は,これまで両者の関係が意識されずに,それぞれが独自な展開を見せてきた二つの出自が異なる生産的思考(社会構成主義)と生産的手法(ワークショップ)のより豊かな結びつきを育み,新しい学びの世界を開いていくための最初の試みである。
著者
広石 英記
出版者
教育哲学会
雑誌
教育哲学研究 (ISSN:03873153)
巻号頁・発行日
vol.2006, no.94, pp.149-151, 2006-11-10 (Released:2010-05-07)

この奇妙な書名は、編者の教育学 (的思考様式) への態度表明である。本書は、教育システムの制度疲労が顕著な今日、あえて「教育」を語らず、われわれの教育観や子ども、教師像を形作り、それらを維持してきた人間の変化への〈まなざし=見立て〉そのものを問題として提起する。つまり、本書は教育とは何かではなく、教育を生み出すものとは何かを問うという、教育学的まなざしを脱構築する試みの書である。
著者
広石 英記
出版者
教育哲学会
雑誌
教育哲学研究 (ISSN:03873153)
巻号頁・発行日
vol.2003, no.88, pp.127-128, 2003-11-10 (Released:2009-09-04)

一九八八年、わが国で初めて「臨床教育学」を名乗る講座が京都大学教育学部の大学院に設置されて、はや十五年の歳月が流れている。この間、臨床教育学は、その独特な学的姿勢によって近接諸科学を刺激しつつ多様な展開を見せている。本書は、その実践的で理論的な研究視座により常に新たな領野を切り開かれ、臨床教育学研究の牽引役をされている皇紀夫会員の京都大学退官を記念して編集されたものである。その意味で、臨床教育学の今日的な展開を示す一つの道標の役割がこの論集に期待される。