著者
庄司 貴由
出版者
日本政治学会
雑誌
年報政治学 (ISSN:05494192)
巻号頁・発行日
vol.62, no.2, pp.2_206-2_227, 2011 (Released:2016-02-24)
被引用文献数
1 1

The Gulf Crisis in 1990, set Japan making United Nations Peace Cooperation Bill to realize theSelf-Defense Force (SDF) dispatch. This report will clarify the Ministry of Foreign Affairs (MOFA) initiatives regarding this bill and its limitation.   Concerning the SDF dispatch, Prime Minister Toshiki Kaifu who insisted on adjustment of the SDF status, deepened conflicts with the Defense Agency and the Liberal Democratic Party executive machine which insisted on cooperation as the existing SDF status. To address this situation, MOFA coordinated approaches by giving concurrent post to the SDF and control by the Prime Minister.   However, the bill of MOFA was accompanied by a reverse effect, prompting decline of political centripetal force of Kaifu as they failed persuading the opposition party under the twisted diet. This resulted in withdrawal of the bill and stagnation of the “International Cooperation Initiative” that was originally the aim of Kaifu and MOFA.
著者
庄司 貴由
出版者
日本政治学会
雑誌
年報政治学 (ISSN:05494192)
巻号頁・発行日
vol.70, no.2, pp.2_164-2_185, 2019 (Released:2020-12-21)

これまで宮澤政権期のPKO政策をめぐっては、カンボジア派遣の事例に研究上の関心が寄せられてきた。ところが、実現こそされなかったものの、日本政府、とくに外務省内ではソマリア派遣の検討も同時に進められていた。そこで本論は、ソマリアでの国連平和維持活動 (PKO) 参加などに着目し、外務省がどのような検討を行い、いかに模索したのかを明らかにする。 まず、航空輸送をめぐる試行錯誤に触れ、その帰結としての世界食糧計画 (WFP) との共同空輸が残した問題点を浮き彫りにする。次に、政府調査団が指摘した情勢認識や人的貢献案を論じていく。最後に、外務省の関係省庁、首相官邸との交渉プロセスを、国連事務総長訪日なども交えながら解明する。そして結論では、外務省の説得が合意形成どころか、調整機能の停滞や深刻な対立を招いたこと、その一方でソマリアPKO派遣構想自体には、後の日本が直面する諸課題が凝縮されていたことを明らかにする。
著者
庄司 貴由
出版者
日本政治学会
雑誌
年報政治学 (ISSN:05494192)
巻号頁・発行日
vol.71, no.2, pp.2_168-2_190, 2020 (Released:2021-12-15)
参考文献数
45

1993年後半、日本は歴史的転換期を迎えていた。非自民連立政権が誕生し、長らく続いた五五年体制が崩壊する。その直後、細川護熙首相が政治改革を最優先に掲げた結果、政治指導者たちはPKOをめぐる議論から遠退き始める。それでは、ONUSAL参加への道筋はいかにして整えられたのか。本稿の目的は、ONUSAL派遣をめぐる政策決定過程を、主として外務省に着目して明らかにすることである。 日本の対エルサルバドル外交は、外務省中南米局が準備した 「二つのD」 (民主主義と開発) 政策によって開かれた。和平合意の成立を機に、中南米局は 「二つのD」 の 「中核国」 にエルサルバドルを据え、中南米外交の強化を図っていく。クリスティアーニ大統領から選挙監視要員の派遣を要請されるや、中南米局と総理府国際平和協力本部は内々で調査を進め、武装強盗など紛争当事者以外の脅威まで 「発見」 するに至った。そうして得られた情報は、当時議論が集中した自衛隊や政治改革と掛け離れ、国会での建設的な議論に結び付かなかった。だが、ONUSAL派遣をめぐる営みは、新たに地域局主導のアプローチが形成される端緒を意味したのである。
著者
庄司 貴由
出版者
日本政治学会
雑誌
年報政治学 (ISSN:05494192)
巻号頁・発行日
vol.71, no.2, pp.2_168-2_190, 2020

<p>1993年後半、日本は歴史的転換期を迎えていた。非自民連立政権が誕生し、長らく続いた五五年体制が崩壊する。その直後、細川護熙首相が政治改革を最優先に掲げた結果、政治指導者たちはPKOをめぐる議論から遠退き始める。それでは、ONUSAL参加への道筋はいかにして整えられたのか。本稿の目的は、ONUSAL派遣をめぐる政策決定過程を、主として外務省に着目して明らかにすることである。</p><p> 日本の対エルサルバドル外交は、外務省中南米局が準備した 「二つのD」 (民主主義と開発) 政策によって開かれた。和平合意の成立を機に、中南米局は 「二つのD」 の 「中核国」 にエルサルバドルを据え、中南米外交の強化を図っていく。クリスティアーニ大統領から選挙監視要員の派遣を要請されるや、中南米局と総理府国際平和協力本部は内々で調査を進め、武装強盗など紛争当事者以外の脅威まで 「発見」 するに至った。そうして得られた情報は、当時議論が集中した自衛隊や政治改革と掛け離れ、国会での建設的な議論に結び付かなかった。だが、ONUSAL派遣をめぐる営みは、新たに地域局主導のアプローチが形成される端緒を意味したのである。</p>
著者
庄司 貴由
出版者
慶應義塾大学湘南藤沢学会
雑誌
Keio SFC journal (ISSN:13472828)
巻号頁・発行日
vol.9, no.1, pp.77-88, 2009

モザンビーク自衛隊派遣は、対アフリカ自衛隊派遣の新たな出発点となった。本稿では、モザンビーク派遣における国内の政策決定過程を、安全確保の側面から検証する。派遣地域の選定において、日本政府は五原則に基づき安全性を考慮したが、派遣場所の決定後、安全確保問題は影を潜めることになる。国連の要請とカンボジアにおける警察官の死亡は、その傾向を追認する契機となった。その結果、モザンビーク派遣は通常の半分の期間で準備されたにもかかわらず、現地の活動に遅滞と他国依存をもたらし、派遣要員の負担を増大させたのである。自由論題研究論文