著者
斎藤 一久
出版者
東京学芸大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2009

ドイツ連邦憲法裁判所の判例において、基本権の介入段階で、スティグマの効果を考慮する判例がいくつか出された。これはアメリカ憲法理論における法の表現的側面との類似性が見出しうる。しかしどのような種類の人権がその射程にあるのかについては未だ明確ではない。日本においても、政府の情報提供、国旗・国歌問題、生活保護の問題では、スティグマ効果を取り入れた基本権の理論構築も可能であると考えられる。
著者
西原 博史 戸波 江二 後藤 光男 今関 源成 斎藤 一久
出版者
早稲田大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2004

本研究は、学校関係法の体系を構築するにあたって、学校・教師・親などといった教育主体間の権限配分ルールを確立することを急務と考え、その際、子どもの権利を基底に据えた体系化の可能性を模索することを目的としてきた。2年間にわたる研究代表者・研究分担者の共同研究(研究開始前における準備作業と、研究終了後における成果の刊行に向けた共同作業を含む)の結果、当該研究目的はかなりの程度で達成できた。理論的には、学校制度と子どもの権利の関係に関する体系的理解が得られた点が重要な成果と言える。すなわち、公教育の正当化に関し、二つの道筋が区別される。子どもの権利実現の文脈で正当化される場面と、社会の側からの子どもに対する期待を実現するためのものとして一定の社会的・民主的価値との関係で正当化される場合との二つである。この両者の正当化方法は、子どもの権利との関係で異なった位置づけが必要になる。子どもの権利実現のために公教育が正当化される場面では、本人利益に合致しているか否かが正当化根拠の妥当性を判断する基準となる。それに対して、社会的・民主的な価値の実現を目的とする場合には、公教育における強制は子どもの権利に対する制約と捉えられ、目的実現のために必要な制約と判断できるか否かが正当化根拠の妥当性判断の基準となる。それぞれの正当化根拠に関して、国家観・人間観・社会観によって正当化可能範囲に広狭あることが確認されるとともに、日本国憲法が想定する個人主義の社会モデルに基いた場合に、基本的に倫理的働きかけが公教育の射程外と位置づけられることが明らかになった。以上の点は、研究代表者が発表した複数の論文や書籍において展開されている。その上で、民主教育がどの程度で子どもの権利を制約できるのかについては、研究分分担者間でなおも論争が続いている。この間の成果は、戸波・西原編著の書籍に示される。