著者
日沖 敦子
出版者
名古屋市立大学
雑誌
名古屋市立大学大学院人間文化研究科人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
no.10, pp.338-332, 2008-12

国立歴史民俗博物館蔵『久修園院縁起』(写本一冊)、および、福岡県八女郡大光寺蔵『飛形山大光寺縁起』(写本一冊)の二種の寺社縁起を翻刻紹介する。いずれも、藤原山蔭関連の寺社縁起である。藤原山蔭の説話・伝承を踏まえ、本尊の由来を説いた寺社縁起は複数確認でき、未紹介のものも少なからず存在する。近世前期には縁起絵巻も制作されており、本誌第四号では、大阪府茨木市常称寺が所蔵する『総持寺縁起絵巻』を紹介した。また、第七号では、天理大学附属天理図書館が所蔵する『新長谷寺縁起』を紹介した。今回紹介する、『久修園院縁起』は、かつて星田公一氏により紹介されたもの(『久修園院所蔵本カ)であるが、国立歴史博物館蔵本とは、若干字句に異同があり、『飛形山大光寺縁起』と併せて翻刻することにした。『飛形山大光寺縁起』は近世中期のものであるが、未紹介の寺社縁起である。内容の詳細については、後稿に記したい。
著者
日沖 敦子
出版者
名古屋市立大学
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.170-151, 2006-01-10

今日、西国三十三ヵ所観音順礼二十二番札所としても知られる総持寺(茨木市)に伝わる縁起絵巻は『今昔物語集』以後、多くの説話、物語に所収される藤原山蔭説話を伝える一縁起として名高い。尾崎久弥氏による全文翻刻紹介により、茨木市総持寺蔵『総持寺縁起絵巻』の存在が広く知られるようになって以降、梁瀬一雄氏によって、全体的な藤原山蔭説話の整理が試みられ、その後、星田公一氏によって、さらに、説話、縁起史料の発掘と整理が試みられた。池上洵一、金谷信之氏によっても検討が重ねられ、これらの諸先学により、藤原山蔭説話の体系的把握が可能となった。また、本絵巻を含め、藤原山蔭の一連の説話文学研究は、お伽草子『秋月物語』や『鉢かづき』を検討するうえでも極めて重要な課題である。これらの諸先学に続く研究として、各縁起の基礎的研究がまず第一の課題として挙げられよう。近年の注目すべき研究として、平安鎌倉期の総持寺と世俗権力の様相について言及した岡野浩二氏の御論が挙げられる。各時代の社会構造が文学に与える影響を考える上でも本史料は貴重なものとなろう。本稿では、「総持寺縁起」研究の端緒として、未だ広く紹介されることのなかった茨木市常称寺に所蔵される『総持寺縁起絵巻』の紹介を試みる。
著者
日沖 敦子
出版者
名古屋市立大学
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.154-142, 2004-01-10

継母の策略によつて、四辻に捨てられた鉢かづきは、入水自殺を図るが、鉢をかづいているために浮いてしまい死ぬことができない。山蔭三位の中将と出会うのは、そんな矢先のことだった。この山蔭三位の中将は、様々な文献にその名が確認できる藤原山蔭のことであると考えられる。山蔭三位の中将は、流布本系『鉢かづき』に登場し、鉢かづきのその後の運命に大きな影響を与える。鉢かづきは山蔭の邸の湯殿で下働きをし、山蔭の四男宰相殿と結ばれる。このような展開を踏まえると、『鉢かづき』の中での一つの転機が、この山蔭との出会いの場面であったと言っても過言ではないだろう。本稿では、〈亀の報恩譚〉(継子譚〉を主要素とする山蔭説話の流れが、その後の室町時代物語にどのように繋がつていくのかを辿りつつ『鉢かづき』らに山蔭というキーパーソンを登場させることによって広がる物語世界を読み味わってみたい。山蔭説話の流れの中での『鉢かづき』の位置を確認した上で、『鉢かづき』と山蔭説話の比較を試みる。そこから導き出すことができる入水直後に鉢かづきが山蔭と出会うという物語展開について考察したい。