著者
有賀 夏紀
雑誌
人文 (ISSN:18817920)
巻号頁・発行日
no.18, pp.166-180, 2020-03

本稿では天野山金剛寺蔵『龍王講式』を題材に、本講式がさまざまな領域の言説を複合的に取り入れながら形成されたことを論じる。『龍王講式』は、延慶三年(一三一〇)の「請雨」に際して金剛寺で書写された旨を記すことから、実際の祈雨儀礼と結びついたテキストだと考えられる。分析の結果、本講式には『釈摩訶衍論』と、その注釈書に基づく叙述が多く確認できた。これは中世金剛寺教学の柱に『釈論』があったこととも合致しており、本講式が鎌倉後期から南北朝期の『釈論』をめぐる注釈活動と連動しながら編まれたことが明らかになった。また東密の修法である「請雨経法」の思想や世界観、儀礼の手順や解釈を示した次第書の言辞も色濃く反映されている。『釈論』やその注釈書、請雨経法の所依となる経典や次第書、そして神泉苑における空海の祈雨伝承など、隣接領域を横断しながら作成された『龍王講式』には、中世真言宗寺院における学問や儀礼の有様が映し出されているのである。
著者
有賀 夏紀
雑誌
人文 (ISSN:18817920)
巻号頁・発行日
no.19, pp.85-100, 2021-03

本稿では、金沢称名寺に伝存する吒枳尼天関連資料を読み解き、中世の儀礼と、それを支える教理について考察する。『辰菩薩口伝』『辰菩薩口伝上口決』は、仏教の夜叉である吒枳尼天の秘説を集めた聖教である。ここでは即身に成仏するという密教的身体観を基調とし、八葉蓮華、宝塔、舎利、如意宝珠といったキーワードを用いて、天台教学の立場から『法華経』(法華円教)と密教との一致を説く。この教説は衆生の心臓を食用するという吒枳尼天によって媒介され、成就するものであった。これと同様の教理が、おなじく称名寺聖教の『輪王灌頂口決私』に見出せる。本資料は即位灌頂の口決であるが、天皇の身体と、仏との一体化を目的とする即位灌頂は、衆生の身体を食して即身成仏させる吒枳尼天と結びつきやすかったと考えられる。吒枳尼天と『法華経』をめぐる言説は、円密一致の教理とともに、中世の儀礼の一端を支えていたのである
著者
有賀 夏紀 Natsuki Ariga
出版者
学習院大学人文科学研究所
雑誌
人文 (ISSN:18817920)
巻号頁・発行日
no.18, pp.166-180, 2020-03

本稿では天野山金剛寺蔵『龍王講式』を題材に、本講式がさまざまな領域の言説を複合的に取り入れながら形成されたことを論じる。『龍王講式』は、延慶三年(一三一〇)の「請雨」に際して金剛寺で書写された旨を記すことから、実際の祈雨儀礼と結びついたテキストだと考えられる。分析の結果、本講式には『釈摩訶衍論』と、その注釈書に基づく叙述が多く確認できた。これは中世金剛寺教学の柱に『釈論』があったこととも合致しており、本講式が鎌倉後期から南北朝期の『釈論』をめぐる注釈活動と連動しながら編まれたことが明らかになった。また東密の修法である「請雨経法」の思想や世界観、儀礼の手順や解釈を示した次第書の言辞も色濃く反映されている。『釈論』やその注釈書、請雨経法の所依となる経典や次第書、そして神泉苑における空海の祈雨伝承など、隣接領域を横断しながら作成された『龍王講式』には、中世真言宗寺院における学問や儀礼の有様が映し出されているのである。
著者
有賀 夏紀 Natsuki Aruga
出版者
学習院大学人文科学研究所
雑誌
人文 (ISSN:18817920)
巻号頁・発行日
no.19, pp.85-100, 2021-03

本稿では、金沢称名寺に伝存する吒枳尼天関連資料を読み解き、中世の儀礼と、それを支える教理について考察する。『辰菩薩口伝』『辰菩薩口伝上口決』は、仏教の夜叉である吒枳尼天の秘説を集めた聖教である。ここでは即身に成仏するという密教的身体観を基調とし、八葉蓮華、宝塔、舎利、如意宝珠といったキーワードを用いて、天台教学の立場から『法華経』(法華円教)と密教との一致を説く。この教説は衆生の心臓を食用するという吒枳尼天によって媒介され、成就するものであった。これと同様の教理が、おなじく称名寺聖教の『輪王灌頂口決私』に見出せる。本資料は即位灌頂の口決であるが、天皇の身体と、仏との一体化を目的とする即位灌頂は、衆生の身体を食して即身成仏させる吒枳尼天と結びつきやすかったと考えられる。吒枳尼天と『法華経』をめぐる言説は、円密一致の教理とともに、中世の儀礼の一端を支えていたのである
著者
有賀 夏紀
出版者
学習院大学
雑誌
人文 (ISSN:18817920)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.222-210, 2015-03

本稿は、「神道集」巻三「稲荷大明神事」におけるダキニ天信仰の考察をとおして、本書の儀礼テキストとしての側面を論じるものである。本文を検討した結果、つぎのような特徴が明らかになった。まず、本章段は密教の修法であるダキニ法の思想を取り込み、それを対句表現などの修辞を用いて構成していること。その際、中心の辰狐王菩薩と囲繞する眷属たちの尊容を列記することで、儀礼の本尊図像を連想させるような叙述になっていること。さらに、現世の利益とともに後生の救済を強調していることの三点である。これら修辞がほどこされた叙述は、表白や願文に通じるものであり、辰狐王菩薩と眷属たちの描写は、本尊図像を前に読み上げられるといっそう効果的である。また、後生守護の功徳は、法会の場で聴衆をつよく惹きつけるものとなる。このように、本章段はダキニ天信仰の要素を、仏事法会の場の言辞としてふさわしいかたちで享受しているのである。This paper is a study of the ritual aspects of Shinto-shu (神道集) through investigation of the Dakini faith (ダキニ天信仰) as it is presented in the Shinto-shu text "Inari-daimyojin-no-koto"(稲荷大明神事).Several characteristics are detected. First, this book reflects the notion of the Dakini-hou (ダキニ法), which is a ritual of esoteric Buddhism, comprised of the rhetoric of antithetical phrases. Second, it implies Buddhist iconography, which was used in religious rituals, by describing the images of Shinko-ou-Bosatsu (辰狐王菩薩) and his followers. Third, it emphasizes the divine grace of this life and the relief to come after death. These findings remind us of hyobyaku (表白) and ganmon (願文), and the passage of Shinko-ou-Bosatsu and his followers would be truly impressive especially when they were read in front of Buddhist iconography.To conclude, this text willingly accepts the elements of the Dakini faith in Buddhist rituals.
著者
有賀 夏紀
出版者
学習院大学
雑誌
人文 (ISSN:18817920)
巻号頁・発行日
no.13, pp.222-210, 2014

本稿は、「神道集」巻三「稲荷大明神事」におけるダキニ天信仰の考察をとおして、本書の儀礼テキストとしての側面を論じるものである。本文を検討した結果、つぎのような特徴が明らかになった。まず、本章段は密教の修法であるダキニ法の思想を取り込み、それを対句表現などの修辞を用いて構成していること。その際、中心の辰狐王菩薩と囲繞する眷属たちの尊容を列記することで、儀礼の本尊図像を連想させるような叙述になっていること。さらに、現世の利益とともに後生の救済を強調していることの三点である。これら修辞がほどこされた叙述は、表白や願文に通じるものであり、辰狐王菩薩と眷属たちの描写は、本尊図像を前に読み上げられるといっそう効果的である。また、後生守護の功徳は、法会の場で聴衆をつよく惹きつけるものとなる。このように、本章段はダキニ天信仰の要素を、仏事法会の場の言辞としてふさわしいかたちで享受しているのである。This paper is a study of the ritual aspects of Shinto-shu (神道集) through investigation of the Dakini faith (ダキニ天信仰) as it is presented in the Shinto-shu text "Inari-daimyojin-no-koto"(稲荷大明神事).Several characteristics are detected. First, this book reflects the notion of the Dakini-hou (ダキニ法), which is a ritual of esoteric Buddhism, comprised of the rhetoric of antithetical phrases. Second, it implies Buddhist iconography, which was used in religious rituals, by describing the images of Shinko-ou-Bosatsu (辰狐王菩薩) and his followers. Third, it emphasizes the divine grace of this life and the relief to come after death. These findings remind us of hyobyaku (表白) and ganmon (願文), and the passage of Shinko-ou-Bosatsu and his followers would be truly impressive especially when they were read in front of Buddhist iconography.To conclude, this text willingly accepts the elements of the Dakini faith in Buddhist rituals.