著者
木村 宣彰
出版者
大谷大学短期大学部
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1996

中国とインドの交流は西域を媒介としており、西域の仏教や国情が密接に関係している。インド・西域からの渡来僧は、中国へ仏教を伝えることを目的にしている。例えば、月支の竺法護や亀茲の鳩摩羅什等の例に見られるように経典翻訳や教義理解や実践の指導を行っている。ところが、中国からインドへの入竺求法の動機は学問的な関心であった。中国僧の入竺は既に三世紀の後半から始まっている。その最初は魏の朱士行であり、魏の甘露五年(260)に西遊しているが、その動機は『道行般若経』を読み、文意が通じなかったため自ら西域に原本を求めるためであった。また道安の『放光光讃略解序』によれば、晋成帝の時代(327〜334)に慧常・進行らが西遊しているが、その目的も学問的な課題であった。かの法顕や玄奘も同様に自らの仏教研究の課題の解決にあった。また中国僧の入る竺の目的として自らの宗教体験や受戒の正否を確かめることもあった。その点で中国僧の入竺は、日本仏教における巡礼や、世の諸宗教にみられる聖地巡拝とは全く異なる性格のものであった。この様な目的でインドに渡った中国僧のためにインドに「漢寺」が存在していたことを確認した。『法苑珠林』所引の王玄策の『西域志』や引継の『印度行程』などによってそれを知ることが出来る。中国とインドの交流が最も活発になるのは5世紀と7世紀であり、逆にそれが減ずるのは6世紀と8世紀である。これは西域の事情や中国の秦や唐など国情と密接に関係している。中国僧の入竺記録としては法顕の『仏国記』や玄奘の『西域記』などは著名であるが、その他に、雲景の『外国伝』、智猛の『遊外国伝』、法勇の『歴国伝記』などが存在した。それらの逸文の収集に努めた。今後の残された研究課題としては、それらの入竺或いは渡来の僧たちが中国仏教の形成と発展に如何なる影響を与えているかの解明が是非とも必要になる。