著者
木村 貴紀
出版者
共栄大学
雑誌
共栄大学研究論集 (ISSN:13480596)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.255-264, 2012-03-15

批評の立ち位置は、こと音楽に限っては微妙であるといえるだろう。それは作品なりの対象物があって、それを後追いする形で成り立つのがどの領域に於いての批評のあるべき姿なのだが、時間に不可逆的でいて、現れては消えてしまう「音」に由来する演奏会という機会にあっては、批評の対象が無形であるがために共有にはいくつもの条件を伴う。そのような状況下で表現される音楽批評であるが、それでもこの領域に於けるいくつもの役割を担うことで、音楽表現の一形態であることは論を俟たない筈なのに、それに相応しい評価を得られていない。それは西洋近代音楽という作品を、様々な解釈を以て日々「更新する」という演奏芸術の根幹の問題にも起因する。ここでは音楽批評が、健全に機能するために越えなければならないこととは何か、またそうしてどのような音楽においてどのような位置を占める音楽表現足り得るのかを追った。
著者
木村 貴紀
出版者
共栄学園短期大学
雑誌
共栄学園短期大学研究紀要 (ISSN:1348060X)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.133-155, 2006

ハイドンによって確立されたソナタ形式という概念は、その当時の背景にある啓蒙思想と呼応して急速に定着した。その後様々な作曲家によって試みられた「ソナタ」の名を冠する楽曲では、ベートーヴェンの作品を契機としてその概念が広げられていくが、それはたがが緩んでいる状態が潜伏的に進行しているという見解もなし得、20世紀には既に行き詰まりを見せていた。一方、対位的書法はJ.S.バッハによってその頂点を極められた本来高度に組織された厳格な技法であるが、バッハの死後は各声部が限定的に音程関係を築くことから開放され、広義な使用がなされるようになる。多楽章を擁するピアノ・ソナタ中でのある楽章に対位的楽章が充当された事例は数多い。しかしベルクは対位的書法を単一楽章のピアノ・ソナタに取り込み、そのことでどのような局面を切り拓くことができたか。ここではその作品で用いられた手法とその意図を検討した。