- 著者
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木村 貴紀
- 出版者
- 共栄大学
- 雑誌
- 共栄大学研究論集 (ISSN:13480596)
- 巻号頁・発行日
- vol.10, pp.255-264, 2012-03-15
批評の立ち位置は、こと音楽に限っては微妙であるといえるだろう。それは作品なりの対象物があって、それを後追いする形で成り立つのがどの領域に於いての批評のあるべき姿なのだが、時間に不可逆的でいて、現れては消えてしまう「音」に由来する演奏会という機会にあっては、批評の対象が無形であるがために共有にはいくつもの条件を伴う。そのような状況下で表現される音楽批評であるが、それでもこの領域に於けるいくつもの役割を担うことで、音楽表現の一形態であることは論を俟たない筈なのに、それに相応しい評価を得られていない。それは西洋近代音楽という作品を、様々な解釈を以て日々「更新する」という演奏芸術の根幹の問題にも起因する。ここでは音楽批評が、健全に機能するために越えなければならないこととは何か、またそうしてどのような音楽においてどのような位置を占める音楽表現足り得るのかを追った。