著者
宋 基正 宮崎 清 朴 燦一
出版者
日本デザイン学会
雑誌
デザイン学研究 (ISSN:09108173)
巻号頁・発行日
vol.57, no.5, pp.37-46, 2011-01-31

本小論では、全羅北道淳昌郡において2005年から展開されている地域革新体制(RIS:Regional Innovation System)に関する現地調査に基づき、当該地域の伝統的生活文化を活かした内発的地域振興計画の特質を考察したものである。伝統的な醤類づくりを基底に据えた淳昌における地域づくりは、以下の特質を有している。1)淳昌では、当該地域の自然・風土のなかで育まれてきた韓民族の伝統食文化である醤類産業を淳昌のアイデンティティーととらえ、その生活文化の産業化を通した地域振興が展開されている。2)核家族化の進行につれてかつての醤類の自給自足形態が脆弱化したことにより、住民-自治体-中央政府の連携的事業展開がなされてきた淳昌の伝統的醤類産業は、今日では韓国における不動の醤類産業としての地位を淳昌にもたらしている。3)淳昌における醤類産業を基底に据えた地域振興が今後とも持続的に展開・進展していくためには、醤類づくりの原材料生産を協働して実施する地域住民の意思と実践、ならびに、その協働を基点として形成される人びとの醤類に対する価値認識の共有化が不可欠である。
著者
大塚 康平 植田 憲 宮崎 清 朴 燦一
出版者
一般社団法人 日本デザイン学会
雑誌
デザイン学研究 (ISSN:09108173)
巻号頁・発行日
vol.50, no.2, pp.53-62, 2003-07-31 (Released:2017-07-19)
参考文献数
41

本稿は、江戸時代に、どのような経路を経て、裂き織りの材料となった古布・木綿布が木綿を栽培することができなかった寒冷地・東北地方に渡ったかを、文献資料に基づいて整理したのもで、以下の点を明らかにした。1)裂き織りの材料となる古布・木綿布は、近郊に生産地を抱えていた大阪に集積され、交易船によって、大阪から大消費都市・江戸に運ばれた。寒冷地・東北地方の港には、西廻り航路(北前船)、東廻り航路で運ばれ、港からは河川交通によって内陸部に搬送され、陸揚げ後は、陸路を通じて移送された。2)東北地方や蝦夷地の帰り荷として、鰊や鰯の搾り粕が木綿を育てるための肥料として運ばれ、畿内を中心とする木綿栽培地で活用された。3)主要な寄港地に存在した古着屋は、裂き織りの材料としての古手・ボロ布の流通に重要な役割を果たした。とりわけ、大消費地・江戸の古着屋は、資源循環・再利用機構の要をなした。
著者
深澤 琴絵 植田 憲 朴 燦一 宮崎 清 樋口 孝之
出版者
一般社団法人 日本デザイン学会
雑誌
デザイン学研究 (ISSN:09108173)
巻号頁・発行日
vol.54, no.4, pp.47-56, 2007-11-30 (Released:2017-07-11)
参考文献数
32

本稿は、「風呂敷」の語が定着するようになる以前の飛鳥時代から平安時代初期にかけての「包み」の文化の様態、すなわち、「包み」の素材・仕立て方・「包むもの」と「包まれるもの」との関連などを、聖徳太子遺品、正倉院御物、古書などを通して調査・解析したものである。その結果、次の諸点が明らかになった。(1)日本における現存する最古の「包み」は、飛鳥時代の仏教合戦に用いられた聖徳太子遺品で、それが今日の「風呂敷」の原初形態といえる。(2)奈良時代には、さまざまな正倉院御物を保護するための「包み」が出現する。御物はまず「包み」に包まれ、その後、袋や櫃に入れられて保存された。租庸調の産物を利用して「包み」に仕立てたものや舶来品の布を用いて「包み」の制作がなされた。(3)奈良時代から平安時代にかけての「包み」の平均寸法は約1mである。また、「包み」の仕立て・寸法・使い方は、「包まれるもの」との関係性によって工夫されていた。(4)「包み」を表す漢字はすでにAD100年頃の『説文解字』にみられ、魂に活力を付与して再生する意味が込められて「包み」が使用されていた。(5)『延喜式』には、渤海国や新羅との交易に「包み」が積極的に用いられたことが記されている。
著者
趙 英玉 朴 燦一 宮崎 清
出版者
日本デザイン学会
雑誌
デザイン学研究 (ISSN:09108173)
巻号頁・発行日
vol.47, no.4, pp.31-40, 2000
参考文献数
55

清代、漢民族の被服は満州族に影響され、大きく変化した。本研究は、小説『紅楼夢』にみられる被服文様を対象に、清代の文様の特徴を、文様がもつ身分象徴や吉祥などの意味性の側面と装飾形式の側面から分析・考察した。その結果、以下のように清代の被服文様がもつ意味性や形式の特性の一端を明らかにした。1)身分文様 : 身分文様を施した礼服に、縁文様を加えて飾ることにより、身分を区別する傾向がみられ、一つの文様の意味が薄れると別の文様を加え、その意味を強くするという新しい文様の使い方が明らかになった。2)吉祥文様 : 吉祥文様は、ほとんどがその文様形式に意味が内包され、図像のモチーフより形式にこだわった吉祥文化であることがうかがえる。3)装飾文様 : 装飾文様は、身分象徴と吉祥的な意味性を特に有さないが、その文様構成の点で、身分文様や吉祥文様と類似した文様構成がなされていたことがうかがえた。
著者
深澤 琴絵 植田 憲 朴 燦一 宮崎 清
出版者
日本デザイン学会
雑誌
デザイン学研究. 研究発表大会概要集 (ISSN:09108173)
巻号頁・発行日
no.49, pp.170-171, 2002-11-05

This paper describes The Furoshiki (Japanese wrapping cloths) and is development. The Emakimono (Japanese picture scrolls) and some remains are regarded on the designs including functions, forms, and ways of utilizations as living tools. It is obtained : (1) The Furoshiki was initiated in the late 6th century, the Asuka period. Two kinds of design are found in the remains of the prince Shotoku. (2) The Emakimono in Nara until Muromachi era, contains varieties of designs which were tightly connected to social backgrounds and temporal rules. Beyond the difference of sexes, generations, and social positions, it has been used widely to represent feelings of prey, respect with utilities of package, transportation and ceremonies.
著者
深澤 琴絵 植田 憲 朴 燦一 宮崎 清 樋口 孝之
出版者
日本デザイン学会
雑誌
デザイン学研究 (ISSN:09108173)
巻号頁・発行日
vol.54, no.4, pp.47-56, 2007-11-30

本稿は、「風呂敷」の語が定着するようになる以前の飛鳥時代から平安時代初期にかけての「包み」の文化の様態、すなわち、「包み」の素材・仕立て方・「包むもの」と「包まれるもの」との関連などを、聖徳太子遺品、正倉院御物、古書などを通して調査・解析したものである。その結果、次の諸点が明らかになった。(1)日本における現存する最古の「包み」は、飛鳥時代の仏教合戦に用いられた聖徳太子遺品で、それが今日の「風呂敷」の原初形態といえる。(2)奈良時代には、さまざまな正倉院御物を保護するための「包み」が出現する。御物はまず「包み」に包まれ、その後、袋や櫃に入れられて保存された。租庸調の産物を利用して「包み」に仕立てたものや舶来品の布を用いて「包み」の制作がなされた。(3)奈良時代から平安時代にかけての「包み」の平均寸法は約1mである。また、「包み」の仕立て・寸法・使い方は、「包まれるもの」との関係性によって工夫されていた。(4)「包み」を表す漢字はすでにAD100年頃の『説文解字』にみられ、魂に活力を付与して再生する意味が込められて「包み」が使用されていた。(5)『延喜式』には、渤海国や新羅との交易に「包み」が積極的に用いられたことが記されている。