著者
李 啓充
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集 (ISSN:18801749)
巻号頁・発行日
vol.60, pp.3, 2011

米国医療の「光」は,自己決定権を中心とする患者の権利が州法等で手厚く保証されていることであり,「影」は市場原理に基づいて医療が運営されていることといってよいだろう。しかし,患者の権利が手厚く保証されているとはいっても,日本で「生存権」が憲法で保障されているのとは対照的に,米国では国民が医療にアクセスする権利は救急医療以外では保証されていない。医療へのアクセスは,「権利」ではなく,「特権(お金を払った人だけが受けられるサービス)」となっている現実があるのである。<BR> たとえば医療保険についても,米国では,国民が民間保険を「自己責任」で購入するのが原則である。制度上,高齢者・低所得者等の弱者に対する公的医療保険が用意されているものの,歳が若く(65歳未満),そこそこの収入はあっても民間保険の保険料を払うほどの経済的余裕がない場合は,「無保険者」とならざるを得ない。その結果,米国では,国民の6人に1人が無保険の境遇に喘ぎ,医療へのアクセスが著しく制限されるという,苛酷な状況が現出している。近年,日本でも「米国式に,医療保険の『公』の部分を減らして『民』を増やせ」とする主張が声高に叫ばれているが,国民が医療にアクセスする権利を損なう危険があるので注意しなければならない。特に,「混合診療解禁」論者は,「高度の治療・最新の治療は高くつくので,保険財政では賄いきれない。保険外の診療として,お金を払った人だけが受けられるようにする」と主張しているが,これは医療へのアクセスを「特権化」する主張に他ならない。<BR> さらに,米国では,保険に加入しているからといって医療へのアクセスが保証されるわけではない。たとえば,保険会社が医療内容の決定に介入する権限を有しているため,患者と医師がインフォームド・コンセントのルールに基づいて共同で決めた治療方針が,保険会社によって「否定」されることも珍しくない。米国のとりわけ高額な医療費を自弁できる患者は稀であり,保険会社が保険給付を拒否した途端に,患者の自己決定権が「絵に描いた餅」と化してしまう現象が起こっているのである。最近,日本でも,財界・保険団体を中心に「保険者機能の強化」を主張する動きが目立っているが,「医師と患者の間に立って通訳の役を務める」という言い方で「治療内容に介入する権限」を獲得することをめざしているので警戒を怠ってはならない。<BR> ところで,日本で医療費抑制路線が強化されるようになったのは,1980年代にレーガノミックス,サッチャーリズムを後追いする形で「小さな政府」路線がとられるようになったことがきっかけだったが,「小さな政府」で運営されている国で,貧富の格差が拡大することは周知の事実である。日本も例外ではなく,現在,OECD 加盟国中第3位の「貧困大国」となっている。社会経済的格差が健康被害をもたらす現象は公衆衛生学の領域では「status syndrome(格差症候群)」として知られているが,今後,日本においても,格差に起因する健康の不平等が深刻化することが懸念される。