著者
李 応寿
出版者
学術雑誌目次速報データベース由来
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.49-67,v, 2001

川上音二郎(一八六四~一九一一)の新派の活動については、四回にわたる洋行と、それに伴う西洋の新技法の取り入れが、広く知られている。しかし、実のところ、川上音二郎は、西洋にばかり交流を求めていたのではない。日清戦争の最中の一八九四年の一〇月、彼は玄界灘を渡り、戦場の韓半島(朝鮮半島)で取材をし、添えを自分の演劇に反映している。 『壮絶快絶日清戦争』に続く『川上音二郎戦地見聞日記』がそれで、彼は、韓半島で蒐集した資料をもとに、写実的な演技を披露し、爆発的な人気を集めた。そしてその裏には、韓国人俳優丁無南の役割も大きかった。新聞に、彼の演技を眼目にして客を呼んだと報道されたほどである。 なお、川上の韓国観は、一九一〇年の一〇月、大阪の帝国座で上演された『新国王』からうかがい知ることができる。検閲を受ける前の題目が『朝鮮王』であったこの戯曲は、マイアー・フェルスター(Wilhelm Meyer Förster)の『アルト・ハイデルベルク(Alt Heidelberg)』を翻案したもので、書き手は巌谷小波(一八七〇~一九三三)、舞台の背景は朝鮮王宮と京都、内容は、日本に留学した朝鮮の王子と日本の料理屋の下女との悲恋の恋物語である。 しかし、原作に比べ、この作品には、王子の留学目的が意図的に強調されていた。それはおそらく、時のイベントであった英親王李垠(一八九七~一九七〇)の日本留学をそのまま反映したためであり、ひいては、日頃の川上の支援者であった亡き伊藤博文に対する鎮魂の意味を持たせていたためでもあったように思われる。