著者
矢守 克也 李 旉昕
出版者
日本グループ・ダイナミックス学会
雑誌
実験社会心理学研究 (ISSN:03877973)
巻号頁・発行日
pp.1712, (Released:2017-12-02)
参考文献数
19
被引用文献数
1

高知県黒潮町が掲げる「私たちの町には美術館がありません,美しい砂浜が美術館です」というフレーズは,「Xがない,YがXです」の形式をもつ。本論文では,この形式が,「限界集落」,「地方消滅」といった言葉によって形容されるきびしい状況下にある地方の地域社会の活性化を支える根幹的なロジックになりうることを,「Xからの疎外/Xへの疎外」の重層関係を基盤とした見田宗介の疎外論の観点から明らかにした。この疎外論の根幹は,「Xからの疎外」(Xがないことによる不幸)は,その前提に「Xへの疎外」(Xだけが幸福の基準となっていること)を必ず伴っているとの洞察である。よって,Xの欠落に対してXを外部から支援することは,「Xからの疎外」の擬似的な解消にはなっても,かえって「Xへの疎外」を維持・強化してしまう副作用をもっている。これに対して,YがXの機能的等価物であることを当事者自身が見いだし宣言したと解釈しうる黒潮町のフレーズには,「Xからの疎外」を「Xへの疎外」の基底層にまで分け入って根本から克服するための道筋が示されていると言える。
著者
李 旉昕 宮本 匠 矢守 克也
出版者
日本グループ・ダイナミックス学会
雑誌
実験社会心理学研究 (ISSN:03877973)
巻号頁・発行日
pp.1608, (Released:2018-09-19)
参考文献数
27
被引用文献数
2

災害復興に関する課題として,復興に対する支援が十分に提供されるために,かえって復興の当事者たるべき被災地住民から「主体性」を奪ってしまう課題を指摘できる。支援者と被災住民の間に〈支援強化と主体性喪失の悪循環〉が生じてしまうという課題である。ここで「主体性」とは,当事者が抱える問題や悩みを外部者が同定するのではなく,当事者が自ら問い,言語化し,解決しようとする態度のことである。本研究では,東日本大震災の被災地である茨城県大洗町において,「クロスロード:大洗編」という名称の防災学習ツールを被災地住民が自ら制作することを筆者らが支援することを中心としたアクションリサーチを通して,この悪循環を解消することを試み,浦河べてるの家が推進する「当事者研究」の視点から考察した。第1に,「クロスロード」を作成する作業を通じて,一方に,〈問題〉について「主体的に」考える被災地住民が生まれ,他方に,当事者とは切り離された客体的な対象としての〈問題〉が対象化されている。第2に,「クロスロード」として表現された〈問題〉は,多くの人が共有しうる,より公共的な〈問題〉として再定位される。最後に,一連のプロセスに外部の支援者である筆者らが果たした役割と課題について考察した。
著者
李 旉昕 宮本 匠 矢守 克也
出版者
日本グループ・ダイナミックス学会
雑誌
実験社会心理学研究 (ISSN:03877973)
巻号頁・発行日
vol.58, no.2, pp.81-94, 2019 (Released:2019-03-26)
参考文献数
27
被引用文献数
1 2

災害復興に関する課題として,復興に対する支援が十分に提供されるために,かえって復興の当事者たるべき被災地住民から「主体性」を奪ってしまう課題を指摘できる。支援者と被災住民の間に〈支援強化と主体性喪失の悪循環〉が生じてしまうという課題である。ここで「主体性」とは,当事者が抱える問題や悩みを外部者が同定するのではなく,当事者が自ら問い,言語化し,解決しようとする態度のことである。本研究では,東日本大震災の被災地である茨城県大洗町において,「クロスロード:大洗編」という名称の防災学習ツールを被災地住民が自ら制作することを筆者らが支援することを中心としたアクションリサーチを通して,この悪循環を解消することを試み,浦河べてるの家が推進する「当事者研究」の視点から考察した。第1に,「クロスロード」を作成する作業を通じて,一方に,〈問題〉について「主体的に」考える被災地住民が生まれ,他方に,当事者とは切り離された客体的な対象としての〈問題〉が対象化されている。第2に,「クロスロード」として表現された〈問題〉は,多くの人が共有しうる,より公共的な〈問題〉として再定位される。最後に,一連のプロセスに外部の支援者である筆者らが果たした役割と課題について考察した。
著者
矢守 克也 李 旉昕
出版者
日本グループ・ダイナミックス学会
雑誌
実験社会心理学研究 (ISSN:03877973)
巻号頁・発行日
vol.57, no.2, pp.117-127, 2018 (Released:2018-03-03)
参考文献数
19
被引用文献数
1

高知県黒潮町が掲げる「私たちの町には美術館がありません,美しい砂浜が美術館です」というフレーズは,「Xがない,YがXです」の形式をもつ。本論文では,この形式が,「限界集落」,「地方消滅」といった言葉によって形容されるきびしい状況下にある地方の地域社会の活性化を支える根幹的なロジックになりうることを,「Xからの疎外/Xへの疎外」の重層関係を基盤とした見田宗介の疎外論の観点から明らかにした。この疎外論の根幹は,「Xからの疎外」(Xがないことによる不幸)は,その前提に「Xへの疎外」(Xだけが幸福の基準となっていること)を必ず伴っているとの洞察である。よって,Xの欠落に対してXを外部から支援することは,「Xからの疎外」の擬似的な解消にはなっても,かえって「Xへの疎外」を維持・強化してしまう副作用をもっている。これに対して,YがXの機能的等価物であることを当事者自身が見いだし宣言したと解釈しうる黒潮町のフレーズには,「Xからの疎外」を「Xへの疎外」の基底層にまで分け入って根本から克服するための道筋が示されていると言える。
著者
矢守 克也 李 旉昕
出版者
日本グループ・ダイナミックス学会
雑誌
実験社会心理学研究 (ISSN:03877973)
巻号頁・発行日
vol.57, no.2, pp.117-127, 2018
被引用文献数
1

<p>高知県黒潮町が掲げる「私たちの町には美術館がありません,美しい砂浜が美術館です」というフレーズは,「Xがない,YがXです」の形式をもつ。本論文では,この形式が,「限界集落」,「地方消滅」といった言葉によって形容されるきびしい状況下にある地方の地域社会の活性化を支える根幹的なロジックになりうることを,「Xからの疎外/Xへの疎外」の重層関係を基盤とした見田宗介の疎外論の観点から明らかにした。この疎外論の根幹は,「Xからの疎外」(Xがないことによる不幸)は,その前提に「Xへの疎外」(Xだけが幸福の基準となっていること)を必ず伴っているとの洞察である。よって,Xの欠落に対してXを外部から支援することは,「Xからの疎外」の擬似的な解消にはなっても,かえって「Xへの疎外」を維持・強化してしまう副作用をもっている。これに対して,YがXの機能的等価物であることを当事者自身が見いだし宣言したと解釈しうる黒潮町のフレーズには,「Xからの疎外」を「Xへの疎外」の基底層にまで分け入って根本から克服するための道筋が示されていると言える。</p>