著者
李 炯喆 李 烔喆
出版者
長崎県立大学
雑誌
研究紀要 (ISSN:18838111)
巻号頁・発行日
no.12, pp.137-148, 2011

大平正芳は自民党派閥戦国時代の悲運の首相であって,40日抗争と1980年の衆参同日選挙という重圧の中で急逝した。弔い選挙のため自民党が大勝したものの,大平の在任中の国際政治の環境も良くなかった。構造化した日米経済摩擦,イラン革命と第2次石油危機,第3次インドシナ戦争,韓国の朴大統領暗殺と不安な朝鮮半島情勢,新冷戦に発展するソ連軍のアフガン侵攻とモスクワ・オリンピックのボイコットなど混沌たる状況であった。しかしながら,混濁した内外の情勢にも拘らず,経済大国日本の新しい位相を模索し続けて,政治外交では「戦後の総決算」,「総合安全保障」,「環太平洋連帯」のビジョンを提示した。さらに,西側国家としては初めて中国に円借款を提供して中国の近代化に協力した。脱吉田政治である戦後の総決算は実現できず,対米関係をかけがえのない友邦と評価し,なお戦後首相としては初めて同盟国と表現した。戦後日本外交の限界であるが,対米自主はより現実的かつ柔軟に再考すべきである。