著者
LEE Hyong Cheol 李 炯喆
出版者
長崎県立大学
雑誌
研究紀要 (ISSN:2432616X)
巻号頁・発行日
no.1, pp.7-19, 2016-12-28

朝鮮が日本の植民地になってから日本語が国語となり、朝鮮語は民族語となったが、35年間に及ぶ全植民地期間中に朝鮮語使用が禁止されたわけではなかった。1920年代の文化政治期には教育熱が上がったため普通学校の新設が急増し、なお朝鮮人による朝鮮語(ハングル)の啓蒙運動と研究が展開され、制限的ながら言論、文化活動も許された。しかし、1930年代後半になり、内鮮一体を目指す皇民化政策の下で、学校と官公署で朝鮮語の使用が禁止され、国語常用が強要されたが、朝鮮人の日本語解読率が20%くらいしかなかったため、終戦の日まで朝鮮語による新聞の発行と放送を行った。総督府は朝鮮語使用の禁止・国語常用運動を展開しながらも、一方では植民地統治のため、自ら朝鮮語の新聞と放送を活用する方針を採ったが、それでいて朝鮮語使用禁止と民族性の抑圧を否定するのは無理である。
著者
李 炯喆 LEE Hyongcheol
出版者
長崎県立大学
雑誌
研究紀要 (ISSN:2432616X)
巻号頁・発行日
no.4, pp.33-41, 2019-12-22

植民地期の近代化について様々な認識と論点があり、日韓両国間だけでなく韓国内でも対立している。その史実究明のため、 19 世紀末から発展した仁川を対象にして検証する。植民地朝鮮の一地域に過ぎない仁川を対象にするだけで正確な分析にならないことは周知のことであり、さらに、仁川-朝鮮-日本と日本帝国経済圏 満州国・中国 という全体的な脈 絡から見るべきであるが、仁川だけでも植民地期近代 化 の実態を把握できる 小さな手がかりになる。
著者
李 炯喆 李 烔喆
出版者
長崎県立大学
雑誌
研究紀要 (ISSN:18838111)
巻号頁・発行日
no.12, pp.137-148, 2011

大平正芳は自民党派閥戦国時代の悲運の首相であって,40日抗争と1980年の衆参同日選挙という重圧の中で急逝した。弔い選挙のため自民党が大勝したものの,大平の在任中の国際政治の環境も良くなかった。構造化した日米経済摩擦,イラン革命と第2次石油危機,第3次インドシナ戦争,韓国の朴大統領暗殺と不安な朝鮮半島情勢,新冷戦に発展するソ連軍のアフガン侵攻とモスクワ・オリンピックのボイコットなど混沌たる状況であった。しかしながら,混濁した内外の情勢にも拘らず,経済大国日本の新しい位相を模索し続けて,政治外交では「戦後の総決算」,「総合安全保障」,「環太平洋連帯」のビジョンを提示した。さらに,西側国家としては初めて中国に円借款を提供して中国の近代化に協力した。脱吉田政治である戦後の総決算は実現できず,対米関係をかけがえのない友邦と評価し,なお戦後首相としては初めて同盟国と表現した。戦後日本外交の限界であるが,対米自主はより現実的かつ柔軟に再考すべきである。
著者
LEE Hyong Cheol 李 炯喆
出版者
長崎県立大学
雑誌
研究紀要 (ISSN:18838111)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.77-87, 2014-01-15

宮澤喜一と言えば、戦後日本の政治外交と経済に深くかかわった戦後史の証人である。占領から経済摩擦にいたる対米関係のみならず、アジアの隣国とも深く関わっていて、教科書問題の際の近隣諸国条項、PKO 協力法、従軍慰安婦問題(河野談話)、新宮澤構想などの決定と政策を打ち出した。そのため、毀誉褒貶相半ばする異色の保守政治家である。首相としての評価は高くないが、宮澤の政治活動には並の保守政治家とは異なる戦前の意識、自由主義、アジア認識が通底している。決して弱腰、優柔不断のせいではなく、彼の信念に由るものである。