- 著者
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松井 和幸
- 出版者
- 北九州市立自然史・歴史博物館
- 雑誌
- 萌芽研究
- 巻号頁・発行日
- 2005
平成19年度は、過去2年間分のタケ出土遺跡資料に追加して、全国の遺跡の発掘調査報告書から出土タケ資料をさらに抽出した。最終的には過去3年分で490遺跡を把握し、全てをデーターベース化した。今年度収集した資料からも以下の結論は、昨年度までに得た結果とほとんど変わらないが、真竹に関しては、新たな知見を得た。以下にまとめる。まず現状の調査から、矢竹等の細いタケ類は、縄文時代にまで遡るのは間違いない。孟宗竹は、渡来の時期は応仁年間(1460年代)と元文元年(1736)の二説があるが、何れにしろかなり後の時代に渡来したと考えられる。長岡京跡から出土したと伝えられる孟宗竹資料も、出土時期が不明確であることが判明した。したがって孟宗竹とは必ずしも特定できないが、大口径のタケは何れも中世以降の出土である。真竹とともに導水管、配水管などへの利用もこの時期に始まっている。真竹のような、直径数cmのタケ類は、12世紀頃からは遺物として把握できる。ただ、法隆寺観音菩薩立像(百済観音)の光背の支柱は竹を忠実に模している。長さ218.6cm、支柱径5.4cm〜7.7cmで真竹に匹敵する太さの竹である。この百済観音像は7世紀後半頃に作られたと推定されている。したがって、真竹の類の日本列島への渡来は古代まで遡る可能性が出てきた。このように、タケの種類により日本列島への渡来の時期はどうやら異なるようであり、このことから、人々のタケ利用の仕方も異なったようである。